香川・篠原Gから指名の瞬間 大粒の涙
【香川・篠原慎平投手】
篠原慎平と初めて言葉を交わしたのは08年7月、サーパススタジアム(当時)の観客席だったと記憶している。まだ愛媛への入団が発表されたばかりで、グラウンドで行われているNPB球団と香川との交流戦に「いますぐにでも出たいっス!」と目を輝かせていた。当時、まだ18歳の少年だった。
ドラフト候補と期待されながら10年に肩を故障。手術とリハビリのため、ほぼ3シーズンもの間マウンドに登ることのないまま、愛媛を自由契約となる。アイランドリーガーとしての7年間のうち、3年間は投げたくても投げられない日々だった。
昨年、香川で復活を果たす。だが、長く苦しかった復活への道のりが、ある種の安堵(あんど)感と満足感を与えてしまったのは事実である。自分に言い聞かせるかのように「今年で辞めるから」と言い続けていた。
徳島とのチャンピオンシップに敗れ、13年シーズンが終わった日の夜、チームメートの竹田隼人と食事に出ている。
「ものすごい手術してここまで戻ったのに、もったいないやん!」
自身も投手であり、ケガでリハビリ中の竹田に現役続行を強く促された。
「その日、僕が出した答えは、あしたの朝、野球がまったくなくなった状態で朝を迎えたときにどんな気持ちになるのか。『ちょっと考えてみるわ』って。で、起きたらむっちゃ野球やりたかった」
何度も、何度も「もうあかん」と思いながら、それでもあきらめなかった。指名の瞬間、流した大粒の涙には、決して一言では語り尽くせない思いが込められている。
「野球もっとやりたい!って思った自分もおったし。上に行きたかったですね。夢をあきらめる自分が嫌やったんで」
来季、袖を通すユニホームはあの18歳の夏の夜、スタンドから観ていたジャイアンツのユニホームである。