広島・坂倉 左打ちになったきっかけはイチローさんと松井秀喜さん 少年時代について語った

 野球を始めたきっかけを語る(撮影・坂部計介)
 
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 広島・坂倉将吾捕手(27)がデイリースポーツ読者に本音を明かす一人語り「野球は楽しく」がスタートする。攻守でチームを支える扇の要。第1回のテーマは「少年時代」で、小学生の頃に習い始めた水泳のエピソードや、左打ちになったきっかけなどを振り返る。

  ◇  ◇

 デイリースポーツ読者の皆さん、坂倉将吾です。定期的にコラムを掲載させていただきます。今回は僕の少年時代についてお話しさせてもらおうと思います。

 野球を始めたのは小学1年の頃。家の近くに少年野球チームがあり、それを見て自分から親に『やりたい』と言ったみたいです。最初は捕手で、学年が上がるごとに投手も務めるようになりました。ボールを追いかけ、打って走り回ることが好きだったなと。

 練習は土日で9時から夕方5時まで。低学年の時は午前中で練習が終わりになることが多かったのですが、こっそりグラウンドに残って上級生に交ざったりしていましたね。

 家でも野球をよく見ていました。朝はメジャーリーグ中継で、夜はプロ野球。千葉出身ということもあり、ロッテ戦や巨人戦を中心に、BSで放送されているカードも見ていました。当時のロッテは里崎(智也)さんや西岡(剛)さん、福浦(和也)さんが中心選手で井口(資仁)さんもおられました。1週間に2、3回は現地で観戦する時もありましたね。

 最初は両打ちだったのですが、3年生か4年生で左打ちに専念しました。イチローさんと松井秀喜さんの活躍をリアルタイムで見ていた世代でしたし、当時は僕もまだ、ギリギリ足が速かったので(笑い)。左なら一塁に近いという側面もあったと思います。

 野球以外の習い事は水泳と、そろばんでした。小学生の頃は比較的、野球はできる方で、周りからもそういう目で見られていました。そんな中、学校のプールでは泳げなくて…。それが悔しくて、スイミングスクールに通わせてくれと親にお願いしたのを覚えています。おかげで泳げるようになりました。

 中学では八千代中央シニアに入りました。父親が趣味で自転車に乗っていて、たまたまグラウンドの近くを通ったことで、そのチームを知りました。当時はグラウンドが4~5面ある恵まれた環境でしたし、指導者の方も含めて最終的に決めました。

 入部届にあった希望ポジションの欄には捕手と書きました。ですが一つ上の学年に内野手が少なく、二遊間を守りながら捕手もやりましたね。中学3年の春はシニアの全国大会で優勝した経験があります。僕はその大会であまり活躍できず、モヤモヤしながらの優勝でしたけど、勝つ喜びは味わえたかなと思っています。

 コラムのタイトルは「野球は楽しく」に決めました。楽しくと言うと軽い感じに聞こえますが、「面白く」という言葉も意味合いが違います。ただ、好きでやっているモノを苦しいモノにしたくないな、と最近思い始めたんです。もちろんシーズンを戦っていれば苦しいことばかりですし、つらいことばかりです。ですが、そこで『苦しいな』と思うと余計に苦しくなりそうなので。最近は楽しく毎日やりたいなと思うようにしています。(広島東洋カープ捕手)

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