お父ちゃんを悼む デイリースポーツ記者が古葉竹識さんの人柄をつづる

笑顔の広島・古葉竹識監督=1984(昭和59)年6月、広島市民球場
 2連覇を達成、ナインに胴上げされる広島・古葉竹識監督=80年11月2日、広島市民球場
 古葉竹識さん
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 広島や大洋で監督を務めた名将・古葉竹識さんが、12日に死去したことが16日、分かった。85歳だった。広島の監督時代から親交を深めていたデイリースポーツ・今野良彦が古葉さんとの思い出とともに悼んだ。

  ◇   ◇

 お父ちゃんへ。久しぶりにお父ちゃんと呼ばせてください。古葉さんは、私がプロ野球記者として初めて担当した広島カープの監督でした。広島市民球場の一塁側ベンチで「今度、担当になりました。よろしくお願いします」と頭を下げた私の手を握り「ほうね。あまり厳しいことは書かんとってよ」と笑いかけてくれたのが初対面でした。

 当時、担当記者で最年少だった私を冗談半分に「息子よ」と呼んでくれ、いつしかこちらも調子に乗って「お父ちゃん」と抱きついたことは一度や二度ではなかった。思い返してみれば、随分と厚かましい態度でしたよね。

 でも、すれ違うたびに、私の次第に膨れあがっていく腹回りに「この腹」といいながら、何度もパンチを浴びせられて、逆に親しみが増し厚かましさもエスカレートしていきました。給料日前で財布がピンチになったある日、練習後にお父ちゃんの所にいき「お昼を食べさせてください」とお願いしたことがありました。そうしたら「球場前の喫茶店で待っとって」といって、後から本当に来てくれました。確か「シベール」という名前の喫茶店だったかな。調子に乗った私は確か「アイスコーヒーもいいですか」と追加オーダーもしました。ずうずうしいにもほどがありますね。

 私が年齢を重ねても、昔のイメージはなくなっていなかったのでしょうか。5、6年以上前に久々に会って話をする機会があったときのことを覚えていますか。場所は古葉さんの自宅近くの喫茶店。店に入るやいなや、お父ちゃんが発した言葉は「好きなものを食べてよ。ご馳走(ちそう)するから遠慮しないで」でしたよね。「私がご馳走しますから、監督はお好きなものを注文してください」と返答すると「いいよ、いいよ。大変なんだから」と笑ってました。まるで30年以上前にタイムスリップしたような光景に、思わず「では」と頭を下げてしまいました。

 心残りは、古葉さんが関係する東京国際大学の野球部の練習を「たまには見に来てよ」と誘ってもらっていたのに結局、一度も顔を出すことができなかったことです。

 ウチの実家には、古葉さんが広島を退団するときに書いてもらった「息子へ 耐えて勝つ 古葉竹識」という色紙が眠っています。今度、実家に戻ったらそれを引っ張りだそうと思います。

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