2シーズン制のパ・リーグで初めてプレーオフが行われたのは?【プロ野球記録企画】
デイリースポーツの記録担当がプロ野球のさまざまな記録をひもとく新企画「記録の向こう側」(随時掲載)がスタート。今回は2シーズン制のパ・リーグで初めて行われたプレーオフを取り上げる。
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観客動員でセ・リーグに大きく水を空けられたパ・リーグは、73年に大きな一手を打った。年間130試合を前期と後期に分ける、2シーズン制を採用したのだ。それぞれの優勝チームが公式戦終了後に、3勝先取のプレーオフを行い、年間優勝チームを決定するという方式だ。
パ・リーグの観客動員は、前年72年の253万9800人に対し、73年は約60%増の406万0200人。もくろみ通りとなった。
前期は南海、後期は阪急がそれぞれ制した。後期の南海はなんと、阪急との直接対決で0勝12敗1分け。プレーオフの下馬評は「阪急有利」一色で、南海は1勝もできないとの見方まであった。
とはいえ、選手兼任の策士、野村克也監督が、手をこまねいているはずもなかった。「奇数試合に勝つ」と言い放ち、ナインをその気にさせる。
大阪球場での初戦では二回に集中打を見せ、白星スタートを飾った。第2戦は敗れたものの、西宮に移った第3戦で江本孟紀が緩急を使ったピッチングを見せ、2勝1敗とリードする。第4戦は阪急が大勝し、タイとなった。
迎えた最終第5戦。九回表にスミスと広瀬叔功が連続本塁打を放ち、南海が2-0とリードした。その裏、佐藤道郎が代打の当銀秀崇に本塁打を許し、詰め寄られる。最後は急きょ救援に立った江本が抑え、南海が初のプレーオフを制し、パの頂点に立った。南海の勝利は第1、第3、そして第5戦。まさに野村監督の予言通りだった。(デイリースポーツ・高野 勲)
答え…1973年
