引き分け投手最多は?【プロ野球記録企画】
デイリースポーツの記録担当がプロ野球のさまざまな記録をひもとく新企画「記録の向こう側」(随時掲載)がスタート。今回は引き分け投手を取り上げる。
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野球の責任投手には、勝利投手、敗北投手に加え「引き分け投手」も存在する。ドローとなった試合で最後に投げた、両軍の投手に記録される。つまり1試合に2人誕生する。
トレードで1976年に阪神から南海(現ソフトバンク)に移った江夏は、選手兼任の野村克也監督と出会った。長いイニングの投球が難しくなっていた江夏を「これからは投手分業制が本格的に始まる。球界に革命を起こそうやないか」と説得し、抑え投手への転身に導いたのは有名な話だ。
江夏はさっそく、移籍2年目の77年にパ・リーグ最多セーブを挙げる。78年には広島へ移り、79、80年とセ最多のセーブを挙げ連覇に貢献した。さらに日本ハム、西武でもプレーし、84年限りで引退した。
抑え投手は試合の最後に投げるため、おのずと引き分け投手となる機会も増える。江夏がリリーフに専念した当時、プロ野球には「延長戦は、試合開始から3時間を超えて新しいイニングに入らない」という規則があった。十二回まで行う現行ルールと比べれば引き分け試合は量産されていた。
試合を「時間制」で行っていた時期が抑え転向と重なり、流浪のストッパーは人知れず記録を作っていた。(デイリースポーツ・高野 勲)
