佐野日大が三重に惜敗 元阪神・麦倉監督初星ならず 敗戦の責任背負い「夏またここへ」
「選抜高校野球・1回戦、三重2-0佐野日大」(23日、甲子園球場)
1回戦3試合が行われ、元阪神の麦倉洋一監督(54)が率いる佐野日大は三重に惜敗した。終盤の好機に得点できず、同監督の甲子園初勝利はお預け。東北は初出場の帝京長岡を下し、22年ぶりの選抜大会勝利。英明は高川学園に勝った。
指揮官として戻ってきた甲子園で“監督初星”とはいかなかった。それでも闘志は消えていない。試合後すぐ、元阪神で佐野日大の麦倉監督は小さく息をはき前向きに力強く話した。
「母校の後輩と一緒に来られたことは、まず一つ大きなステップができたんじゃないかなと。ここからこの子たちとね、もう一回り二回り大きくなって、この夏ちょっと違った形でまたここに来られたらと思う」
聖地での初タクト。勝負をかけたのは0-2の八回だ。先頭の小和田和輝捕手(3年)が二塁手のファンブルで出塁すると、代打・青木裕弥内野手(3年)を送り込んだが空振り三振。そこから二ゴロと安打で2死一、二塁と好機を拡大したが、相手投手の低め変化球に翻弄(ほんろう)され、最後も空振り三振で得点を奪えなかった。
「思ったよりも緊張しなかった。私の指示がもう少し通っていれば。私の責任」と敗戦の責任を一身に背負った。無得点の要因は「低めの変化球を追いかけすぎたこと」と分析し、投手については「やっぱり真っすぐが一番打ちづらいんだっていうのをもう一回分からないといけない」と夏に向けての課題とした。
自身は佐野日大時代に1989年夏の甲子園で完封勝利を挙げ、阪神では91年5月6日の大洋戦でプロ初先発初勝利を挙げている。「私はね、自分勝手にやってましたんで」と話しながらも、「思いっきりやれる環境をつくるのが私の今の仕事。甲子園は一つ勝つのは大変。勝負強さがないと、ここで戦えない」と聖地の難しさを語った。
「いい経験をさせていただいた。選手たちも思いっきりやってくれたんじゃないかな」。チームを成長させ、再び聖地凱旋を果たす。
◆麦倉 洋一(むぎくら・よういち)1971年7月29日生まれ、54歳。栃木県出身。右投げ右打ち。高3だった89年夏の甲子園に佐野日大のエースとして出場。89年度ドラフト3位で阪神に入団し94年までプレー。通算12試合で2勝4敗、防御率4.81。現役引退後はゴルフ場開発企業勤務を経て、デサントに入社。17年に佐野日大の監督に就任。





