江川卓氏 慶大受験に失敗した理由明かす「えんぴつを転がした」合格発表には記者20人が同行も…
巨人OBの江川卓氏と阪神OBの掛布雅之氏が28日、都内で行われた「週刊ベースボール 創刊4000号記念企画トークショー」に出席。江川氏はかつて慶大を受験して不合格となったいきさつを明かした。
中学時代に偶然、観戦したという早慶戦の熱気に感激し六大学で野球をすることを決意したという江川氏。作新学院から早大への推薦入学の話が進んでいたが「行くもんだと思ってたら、おやじが急に、受験勉強をしてないから勉強しろって言い出して」。慶大受験へとシフト転換することになったという。
ここで問題が発生した。「早稲田の推薦では世界史と日本史と地理のどれかを取ればよかった。僕は地理をずっとやってたんですけど、慶応を受験するとなったら地理がなかったんです」
受験まで3カ月ほどの段階で急きょ日本史を選択し代々木ゼミナールに通って猛勉強を始めたという。
「夜の10時から12時ぐらいまで先生と1対1で卑弥呼から教わってバッチリに。これまで慶応は、第二次世界大戦後の問題は出たことないから完璧ですとなった」
第二次世界大戦までの対策を万全にして受験に臨んだところ、出題されたのは第二次世界大戦後の問題だったという。
「全く見たことがないところだった。わからないから、えんぴつ転がしましたね。残念でした」
なすすべもなく、えんぴつ頼みでマークシートを埋めた苦い思い出を振り返った。
運命の合格発表。20人ほどの記者が同行する中、張り出された合格者の番号を見たが「数学とか英語は自信があったんだけど、(自分の)番号が飛んでた。なかった。落ちましたね。それで法政に入れていただいた」
生々しく不合格になった当時の状況を明かして観客を驚かせていた。
作新学院のエースとして公式戦で9度のノーヒットノーランを達成するなど怪物と言われていた江川氏は、作新学院3年時の73年ドラフトで阪急から1位指名を受けたが拒否、その後法大に入学して六大学でプレーした。




