沖縄尚学 初優勝!戦後80年 深紅の大優勝旗が琉球の地へ 阪神と“縁”を持つ宜野座「これからの宝物」
「全国高校野球選手権・決勝、沖縄尚学3-1日大三」(23日、甲子園球場)
決勝が行われ、沖縄尚学(沖縄)が日大三(西東京)を3-1で下し、1962年に初出場してから11度目の挑戦で初優勝を果たした。沖縄県勢としては2010年の興南以来15年ぶり2度目。センバツを2度制した沖縄尚学は3度目の甲子園制覇となった。阪神の春季キャンプ地・沖縄県国頭郡宜野座村出身の宜野座恵夢捕手(3年)が決勝打を含む3安打2打点と躍動した。日大三は11年以来3度目の優勝を目指したものの、惜しくも届かなかった。
決着の瞬間、甲子園が揺れた。指笛に包まれて沖縄尚学ナインが歓喜の輪を作る。戦後80年の節目。悲惨な地上戦が繰り広げられた琉球の地に、再び深紅の大優勝旗が渡ることが決まった。
栄光をもたらしたのは、くしくも幼少期から甲子園を本拠地とする阪神と縁を持つ4番・宜野座だった。同点の六回2死二塁で、外角スライダーに食らいついて勝ち越しの左前適時打。1点リードの八回2死二塁では外角球を巧みに拾い、左中間を破る適時二塁打を放った。「県民の方々がすごくこの試合を楽しみにしていた。その中で結果を残せたことがうれしい」。渾身(こんしん)のガッツポーズでアルプスの大歓声に呼応した。
阪神が春季キャンプを行う宜野座村で生まれ育った。幼少期から2月のキャンプに足を運び、虎戦士の一挙手一投足をその目に焼き付けた。小4時には野球教室に参加し、梅野には捕邪飛を捕るコツ、坂本にはフレーミングの方法を質問。「小さい頃に教わったことを自分で大事にしている」と“師匠”の言葉を胸に、捕手としての基盤を作り上げた。七回無死はバックネット際に上がった飛球にミットを伸ばして好捕。ピタリと止めるフレーミングと巧みなリードで、2年生投手の末吉&新垣有をけん引。決勝の大舞台でも梅野、坂本の教えが生きた。
今大会は7番から始まり、準決勝からは4番に座って23打数11安打で打率・478、7打点。「阪神という球団の本拠地でできたことがとてもうれしかった。そこで6試合もできて活躍できたのはこれからの宝物」と感無量の表情で汗を拭った。「小さい頃から見てきたユニホームに袖を通せるのならうれしい」と将来は阪神入りを熱望。「(スカウトに)目がつけられるまで活躍できるように頑張りたい」と将来のプロ入りを見据えた。
戦後80年の節目に、沖縄代表としてつかんだ頂点にも意味があった。沖縄尚学は大多数の部員が沖縄出身。民間人の犠牲者が多く出た地上戦など、語り継がれる凄惨(せいさん)な歴史を耳にしてきた。比嘉公也監督(44)もその悲惨さを祖母から聞いて育っており、「平和があってこの今の学生が輝いていると思う」とかみしめた。
宜野座も県民の心に刻まれている傷は理解している。「戦後80年。そういう年に自分たちが優勝旗を持って帰ったら沖縄の皆さんが喜ぶと思って決勝に臨んだ」。ナインの奮闘で忘れてはいけない過去にスポットライトが当たった。
三塁側アルプスを緑に埋め尽くした県民は、グラウンドを見つめて涙を流した。大音量の指笛が甲子園に鳴り響き、沖縄特有のリズムに乗ってナインは躍動。島一丸で夏の頂点へと駆け上がった。
◇宜野座 恵夢(ぎのざ・えいむ)2007年5月6日生まれ、18歳。沖縄県宜野座村出身。175センチ、76キロ。捕手。右投げ右打ち。小学1年時に漢那イーグルスで野球を始め、宜野座中では軟式野球部に所属。2年時に捕手として全国大会出場。沖縄尚学では1年夏から捕手としてベンチ入り。50メートル走6秒7、遠投105メートル。好きな球団は阪神。





