東洋大姫路・阪下 復活の九回3人11球斬り16強 センバツで右肘靱帯損傷以来の対外試合「鳥肌立った」
「全国高校野球選手権・2回戦、東洋大姫路8-4花巻東」(15日、甲子園球場)
2回戦4試合が行われ、東洋大姫路が8-4で花巻東を破り、夏の甲子園出場4大会連続の16強入りを決めた。今春の選抜大会で右肘靱帯を損傷した阪下漣投手(3年)が故障後初の対外試合登板を果たし、九回のピンチで火消しに成功。西日本短大付は4番・佐藤仁外野手(3年)の決勝打で聖隷クリストファーに2-1で勝利。明豊は佐賀北を6-1で下した。
東洋大姫路の阪下の足は震えていた。悪夢がよみがえる聖地のマウンド。トラウマを振り払うかのように必死に腕を振った。三塁アルプスから響く勝利の歓声を背に、安堵(あんど)の表情を浮かべた。
「鳥肌が立った。チームのために思い切って腕を振るだけでした」
4点リードの九回無死二塁。148日ぶりの対外試合登板が甲子園のマウンドとなった。先頭から2者連続三振を奪い、最後はこの日最速143キロ直球で遊ゴロと打者3人でシャットアウト。“悲劇のエース”が11球で復活を示した。
今春の選抜大会で壱岐との初戦に先発するも1回2失点で緊急降板。右肘靱帯を損傷した。医師から手術を勧められたが、残りの高校野球生活を諦めることになる。仲間のためにも保存療法で再起することを決意した。
春までは絶対的エース。そんなプライドも捨て、リハビリに励んだ。手負いの投手がベンチに入れるほど甘くはない。「このままではメンバーに入れないよ」と指導者から厳しい言葉を受けることもあった。「何のためにやってきたんだろう」。葛藤を抱えながらも、再び戦力となるべく歩みは止めず。背番号「10」で県予選からベンチ入りし、ようやく勝利に貢献した。
「マウンドに上がる時はチームのためにやっていく」。選んだ「今」に後悔はない。1977年以来48年ぶりの日本一へ、最後のピースがそろった。
◇阪下 漣(さかした・れん)2007年7月5日生まれ、18歳。181センチ、86キロ。兵庫県西宮市出身。右投げ右打ち。投手。小学2年から浜脇タイガースで野球を始め、浜脇中では西宮ボーイズに所属。東洋大姫路では1年春からベンチ入りし、1年秋から背番号「1」。最速147キロ。




