長嶋茂雄さん告別式 王貞治さんが弔辞「大恩人の長嶋さんとのこんなお別れは、到底受け入れられません」【全文】
肺炎のため3日に89歳で亡くなった元巨人・長嶋茂雄さんの通夜・告別式が、7日と8日にそれぞれ東京都の桐ケ谷斎場で営まれた。
近親者のみで執り行われ、喪主の次女・三奈さんや長男の一茂氏ら親族、巨人関係者らが天国へ見送った。8日の告別式では盟友の王貞治氏、中畑清氏、松井秀喜氏が弔辞を読み上げ、三奈さんが喪主挨拶で最期の様子とともに感謝の言葉を伝えた。
▽王貞治氏の弔辞
弔辞。長嶋茂雄さん。あなたへの弔辞を読む日がこんなに早く来るとは思ってもいませんでした。あなたは日本の健康優良児でした。存在そのものが、日本人の誇りでした。
グラウンドでは、一挙手一投足が、日本中のファンの心を惹きつけました。日本中があなたを追いかけました。大変だったと思いますが、あなたは嫌な顔一つせず、常に明るく存在していました。太陽のように光を放っていました。本当に特別な存在でした。
そんなあなたに私は迷惑ばかりかけていました。昭和34年、私が入団した年の宮崎キャンプで同室にさせられ、世間知らずの私は、部屋の片付け、布団の上げ下げなどすることもできず、挙げ句に、寝相は悪いは、いびきはかくはで、迷惑をかけっぱなしだったようで、1週間で部屋を替えさせられましたが、その間、長嶋さんは一言も文句を言いませんでした。
アメリカで、ベロビーチでキャンプした時、ロサンゼルスで1泊して、フロリダに飛んだんですが、その出発の日の朝、私が寝坊してしまい、長嶋さんが天窓から部屋に入ってくれて、私を起こし、荷物をまとめてくれたので、飛行機に乗り遅れることはなく済んだこともありました。
私にとっては、長嶋さんは超普通の人でした。長嶋さんは私に普通人として接してくれました。長嶋さんには頭が上がりませんでした。足を向けて寝られない人でした。そんな大恩人の長嶋さんとのこんなお別れは、到底受け入れられません。皆さんも同じだと思います。しかし、そうは言っても、現実に引き戻されてしまいます。あとは、静かに、静かにお見送りするのみです。
長嶋さん、ありがとうございました。あなたとの六十有余年、私にとっては忘れることのできない貴重な年月でした。感謝するしかありません。89年間、よくぞ頑張ってくれました。日本人のために頑張ってくれました。ありがとうございました。安らかにお眠りいただくことを願うのみです。「長島茂雄」に戻ってゆっくりとお眠りください。さようなら。
令和7年6月8日。王貞治。





