記者の失恋話に超前向きな励まし 前向きで、紳士的で、ユーモアと笑顔を忘れない【長嶋茂雄さん歴代担当記者悼む】
国民的スーパースターで「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれた巨人・長嶋茂雄(ながしま・しげお)終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は次女三奈さん。後日、お別れの会を開く。戦後日本、高度経済成長期の象徴的存在だった。娯楽のまだ少なかった時代、巨人の「4番・サード」として、光り輝いていた。勝負強い打撃、華麗な守備、走る姿もまた、格好良かった。もらった感動、元気、勇気、笑顔は数え切れない。
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もう30年になるのか…。巨人担当時代の、朝から晩まで長嶋さんを追いかけた日々の思い出が、胸に去来する。いつかはこの日が来るとは思っていた。しかし、実際に訃報に接すると、言いようのない喪失感が心を支配している。
長嶋さんの現役時代を知らない1970年生まれの私が、その存在の大きさを目の当たりにしたのは、初めて巨人を担当した96年。当時、長嶋監督の周囲は常に各紙のキャップが付いており、黒山の人だかり。番記者の数でいえば、大物政治家より多いんじゃないかと思った。下っ端の私はその光景を遠巻きに見ているしかできず、名刺を渡してあいさつするなんて、とてもできなかった。
ところがシーズン中のある日、けがをした選手を取材するため都内の病院で張り込んでいた時、長嶋監督が見舞いに訪れた。病院での取材は球団から禁じられていた。しかし、単独で監督の取材をする機会なんてそうはない。病院から出てきたところを直撃した。「監督、デイリーの足立です」と名刺を差し出した記者に、「ああ、お見舞いですか?」と笑顔。NGであるはずの病院取材に嫌な顔一つせず、入院中の選手のことを「心配だね」などと話をしてくれた。
その後、巨人キャップとして多くの話を聞かせていただいた。いつも前向きで、紳士的で、ユーモアと笑顔を忘れない長嶋監督に、番記者全員が魅せられた。時に私の失恋話を聞いてくれ、「足立さん、世の中に女性はいっぱいいますよ」と、超前向きな励ましをいただいた。
2001年、巨人監督を退任した時もキャップだった。当時、周辺取材からも、監督の言動からも、続投を確信していた私は、退任会見を見ながら、とてつもない喪失感に襲われた。それ以上のむなしさが今、胸にある。合掌。(デイリースポーツ・1996~99、 01年巨人担当・足立行康)





