ああ、この人は長嶋さんだ 一気に距離縮まっても永遠のスーパースター【長嶋茂雄さん歴代担当記者悼む】

 国民的スーパースターで「ミスタープロ野球」の愛称で親しまれた巨人・長嶋茂雄(ながしま・しげお)終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は次女三奈さん。後日、お別れの会を開く。戦後日本、高度経済成長期の象徴的存在だった。娯楽のまだ少なかった時代、巨人の「4番・サード」として、光り輝いていた。勝負強い打撃、華麗な守備、走る姿もまた、格好良かった。もらった感動、元気、勇気、笑顔は数え切れない。

  ◇  ◇

 万物を照らす光が消えた。あなたの光がいかに私たちにぬくもりを与えてくれたか、いま改めて思い知る。

 思い焦がれるほどの長嶋ファンだった私は、プロ野球担当記者となった1976年春、甲子園球場で初めて巨人軍取材の機会を得た。心に一つのことを思い定めていた。「長嶋監督と一対一で話をする」と。

 その日、実現した会話は今でも覚えている。

 「タイガースの今日の先発は江夏でしょうね」「うん、そうだね、江夏だろうね」

 1年後、巨人担当となった。まだ名前も覚えてもらっていないころ、長嶋監督が遠征先で早朝散歩をしていることを聞き込んだ。名古屋の宿舎で張り込んでいると、長嶋さんが出て来た。「ご一緒させてもらっていいですか?」

 あの長嶋さんと二人っきりの散歩。私はロボットのような歩き方をしていたことだろう。

 と、その時、長嶋さんが鼻水を垂らしていることに気づいた。

 歩きながら思い悩むこと数分、意を決して切り出した。「監督、はなが出てます」「おっ、そうか。いかんいかん」

 手でぬぐいながら例のキョロキョロする目つき。ああ、この人は長嶋さんだ。一気に縮まったその距離に身を置いて、私は幸せだった。

 以来、数え切れないほど一緒に散歩し、コーヒーを飲み、食事をした。映画を見たり、伊東キャンプの休日には伊豆半島をドライブしたこともあった。けれども、ファン時代のあこがれはいささかも損なわれることなく、私にとって長嶋さんはスターであり続けた。

 もう、いない。地上にあの光はもうない。思い出ばかりが胸をつく。(デイリースポーツ・1976~80年巨人担当・岡本清)

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