「不惑の大砲」門田博光さんが死去 あらためて聞いてみたかった“3色富士”
プロ野球を代表するスラッガーとして南海(現ソフトバンク)、オリックス、ダイエーなどで活躍し、本塁打王に3度、打点王に2度輝いた門田博光氏が死去したことが24日、わかった。74歳。この日に自宅で倒れているところを発見され、その場で死亡が確認された。NPB歴代3位となる通算567本塁打を記録し、40歳で本塁打と打点王に輝き「不惑の大砲」とも呼ばれた大打者がこの世を去った。
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悲報が届いた。驚いて電話を入れてみた。つながるはずがない。また入れてみたが、同じだった。
昨年の今ごろ。久しぶりに取材がしたくなって“自宅”に電話した。すると「勘弁してくれ。いま人工透析から帰ってきたとこや。しんどいねん」と言われて、あっさり引き下がった。
昔みたいにもっと食い下がっていれば…しかし、それをやるほど若くもない。「分かりました。お体に気をつけて」。それが門田博光と交わした最後の言葉になってしまった。
門田さんにはあらためて聞いてみたい話があった。あの“3色富士”は描いたのかと。
南海ホークスの選手時代、車で東京へ向かう道中。突然、グレーのバックに赤、黄、紫の3色の光が富士山を差したという。「その一瞬を僕は見たんや。(葛飾)北斎でも描いたことのない3色の富士山や!」と自慢げに話していたのを思い出したからだ。
陶芸や絵画に興味をもっていたから呉(広島)のキャンプにも絵の具と筆を持ち込んでいた。人は変わり者と呼んでいたし、自分でもそう言っていた。
14年前に取材した際は、体が不自由そうだった。現役引退後、「健康管理がむちゃくちゃ」になり、毎日ビールを30本飲んで糖尿病になったと、少し後悔しながら語っていた。「脳の後ろに石がくっついている感じ」という脳梗塞の話も。その時、10年後の自分を想像して「地球の土」と答えていた。
未来の自分を予知していたのかもしれない。小さい体を大きく膨らませ、遠くへ飛ばすことを追い求めた超一流のアーチスト。門田博光は、とにかく凄い人だった。(デイリースポーツ・宮田匡二)