村田兆治さん死す 未明の自宅火災…希代の名投手72歳早すぎる最期 一酸化炭素中毒か

 村田兆治さんへの献花とゆかりの品(撮影・佐々木彰尚)
 豪快な「マサカリ投法」で通算215勝を挙げた村田兆治さん
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 ロッテのエースとして活躍した村田兆治氏が11日、死去した。72歳。同日午前3時10分ごろ、東京都世田谷区成城の村田氏宅から出火し、村田氏は2階から意識不明の状態で見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。死因は煙を吸ったことによる一酸化炭素(CO)中毒とみられる。現役時代には215勝を挙げ、名球会のメンバーにも名を連ねた右腕の、衝撃的な最期となった。

 あまりに突然の、悲しすぎる別れとなった。警視庁成城署や東京消防庁によると、村田氏の2階建て住宅の2階約40平方メートルが焼け、村田氏は2階から意識不明の状態で見つかり、搬送先の病院で死亡が確認されたという。

 死因は煙を吸ったことによる一酸化炭素(CO)中毒とみられている。2階のリビングが激しく燃えており、署は火元とみて、実況見分をするなどして出火の原因を調べている。部屋に油分がまかれていたかどうかも調査中。たばこは部屋の中には見当たらず、最近の喫煙習慣についても不明となっている。

 村田氏が発見されたのは2階の別の部屋で、物や衣類がたくさんある中、部屋着姿で床に座った状態だった。火災の通報を受け、ポンプ車など消防車両26台が出動し、消火に当たった。当時、住宅には村田さんだけがいた。目立った外傷や、外部から侵入された形跡は見られないという。

 遺書は今のところ発見されておらず、家族に自殺をほのめかした事実も今のところないという。警察は失火、放火(自殺)両面で捜査中で、遺体の解剖は12日以降に行われる。

 村田氏は広島県出身。ロッテのエースとして215勝を挙げ、豪快な投球フォーム「マサカリ投法」で知られる。野球殿堂入りし、名球会のメンバーにも名を連ねる。

 今年の9月には、羽田空港の保安検査場で女性検査員の肩を押したとする暴行容疑で警視庁に現行犯逮捕された。携帯電話を手にしていたため金属探知機が反応し、トラブルになったとみられている。釈放後、報道陣に「たくさんのファンや子どもたちにおわびしたい」と謝罪していた。また、昨年まで「沢村賞」の選考委員も務めていたが、今年10月24日の選考会では、委員を辞退することが発表された。

 輝かしい球歴を歩んできた村田氏の身にいったい何があったのか。150キロ超の剛速球と不屈の闘志で魅了した名投手は、野球ファンや関係者に大きな衝撃と悲しみを残して、この世を去った。

 ◆村田兆治(むらた・ちょうじ)1949年11月27日生まれ。広島県出身。現役時代は右投げ右打ちの投手。福山電波工(現近大福山)から67年度ドラフト1位で東京(現ロッテ)入団。「マサカリ投法」と呼ばれた独特の投球フォームで75~76年に2年連続で最優秀防御率。81年には最多勝とベストナインを獲得。83年に痛めた右肘の手術(トミー・ジョン手術)を受けたが、85年に17勝を挙げカムバック賞を受賞。89年には3回目の最優秀防御率。90年限りで現役引退。最多奪三振4回、最多セーブ1回。通算成績は604試合215勝177敗33セーブ、防御率3・24。148暴投はプロ野球歴代1位。2005年野球殿堂入り。

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