「ミスタースワローズ」若松、池山、青木、山田…受け継がれし背番号「1」の系譜
「DeNA1-5ヤクルト」(26日、横浜スタジアム)
ヤクルトが阪神とのデッドヒートを制して2015年以来、6年ぶり8度目の頂点に立った。高津臣吾監督(52)は就任2年目で初優勝となった。9月に球団新の13試合連続無敗などで勢いに乗り、最大7ゲーム差をつけられた阪神を逆転。前年最下位からの優勝は、セ・リーグで5度目となった。
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受け継がれし、背番号「1」の系譜がある。だがそれは、ミスタースワローズの称号と合わせて背負う重責でもある。ヤクルト・池山隆寛2軍監督(55)も、背番号「1」と共に黄金時代を戦ってきた一人だ。今年は後継者の山田が主将としてチームを6年ぶりのリーグ優勝に導いたが、その歴史の中には熱い思いが隠されていた。
志願して背負った番号だった。18年間にわたり若松勉氏がつけた、いわば“準永久欠番”。それでも池山2軍監督は1991年のオフ、年俸の上がらなかったことを理由に、「それだったら、1番をください」と直訴した。
92年から背負った8年間で、優勝を4度経験。日本一にも立った。「責任を果たしたのかな」と当時を懐かしむと同時に、「ヤクルトの1=顔。僕にはもう、この番号を背負えるほどの価値はない」と代打を務めることが多くなった99年シーズンをもって返上したという。
既存の選手では10年からの2年間を青木が、16年からは山田に引き継がれた背番号「1」。池山2軍監督には信条がある。「背中で見本になれ」-。ミスタースワローズとなった日々で、当時の野村監督から言われ続けた言葉だ。不振時にはファンから届けられた激励が支えに変わり、だからこそ「自分の成績が悪いと優勝できない」と人知れず努力を続けた。
14年ぶりの頂点に立った15年。歓喜の輪の中に背番号「1」は不在だった。しかし6年の月日を経て、袖に「C」のマークを、そして背中に「1」をつけたミスタースワローズ・山田が中心で笑う。「2人も背番号に成長させてもらったと思う、僕もそうだったから」とは池山2軍監督。その姿に自らの思いを重ねて、後輩たちの快進撃を喜んだ。




