母校平安からも惜しむ声 「多くの激励の言葉頂いた」

 2216試合連続出場達成で、試合前にプレゼントを交換するリプケン(左)と衣笠氏=1996年6月(AP=共同)
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 プロ野球広島で活躍し、2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄氏が23日、上行結腸がんのため亡くなった。71歳だった。衣笠氏の死去を受け、京都市下京区にある母校の龍谷大平安高(旧・平安高)からも「偉大な大先輩が亡くなり、悲しい限り」と惜しむ声が聞かれた。

 衣笠氏は1964年に春夏連続で甲子園に出場し、65年の卒業後は広島に入団した。副校長の燧土勝徳さん(55)によると、衣笠氏は関東で開かれる同窓会に毎年のように顔を出し、甲子園での母校の活躍を喜んでいたという。

 同窓会では、関東の大学に進んだ野球部出身の卒業生に「今はつらいかもしれないが、平安で野球をしたことは必ず人生で大きく役に立つ」と声を掛けていた。

 3年ほど前には、京都市内で衣笠氏の卒業50周年を祝う会が開かれ、「年を取ってきたが、みんなで頑張ろう」とあいさつし、同級生との再会を約束したという。

 ただ、ここ数年は同窓会に姿を見せなかったこともあり、燧土さんは体調を心配していた。「常に母校を気に掛けてもらい、多くの激励の言葉を頂いた」と悼んだ。

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