森下「憧れの場所」糸原「青春でした」 甲子園100周年-阪神ナインが明かす高校野球聖地の思い出

 甲子園球場が8月1日に開場100周年を迎える。1世紀という長きにわたって歴史を積み重ねてきた聖地を、ホームグラウンドとして戦う阪神の選手たちが高校時代の甲子園出場を回想。野球少年憧れの場所で、プロとして大歓声を浴びながらプレーできる喜びを語った。

 【村上頌樹投手=智弁学園】阪神の現役では唯一、村上が高校時代に“甲子園優勝投手”の肩書を手にしている。智弁学園3年春、エースとして同校初の全国制覇に貢献。「優勝できたのはうれしかったですし、忘れることはないですね。これからも自分は甲子園で必死に投げていきたい」と17歳でつかんだ栄冠を胸に刻んで、プロとして腕を振る。

 兵庫県出身だけに小学生の時から野球観戦に訪れるなど、甲子園は身近な場所だったが、「大勢の中で野球ができることが一番の魅力」と入団後に改めて実感。「ビジターチームのファンはちょっとで、後は阪神ファン。すごい応援が後押ししてくれる。甲子園でしか味わえない雰囲気だと思います」と地の利を力に変えている。

 【森下翔太外野手=東海大相模】昨季の日本一にルーキーとして貢献した森下は、「自分自身としても2年目で勝負の年ですし、チームも2連覇に向かう。そういう意味では記念で記録の年になるのかな」と甲子園100周年を見据える。東海大相模3年春に甲子園に出場したが、学生時代は神宮や横浜スタジアムが主戦場。「いろんな球場でやるようになってからは、甲子園はバッターとしてはあんまり有利に働かないかなって痛感しましたね」と素直な胸中を吐露する。

 一方で「高校生とか小中学生も含めた憧れの場所だと思うんで、ホームグラウンドにできる喜びはあります」と光栄にも感じている。聖地の広さに負けることなく、メモリアルイヤーの今季は20本塁打を目標とする。

 【井上広大外野手=履正社】井上は履正社3年夏に全国制覇を達成したが、高校時代の甲子園の記憶として真っ先に浮かぶのは、意外にも3年春の初戦敗退だ。星稜・奥川に完封され、「岡田先生(監督・当時)からは『ボーッとしてたら一瞬で終わるぞ』と言われてましたが、1回戦で負けてしまい、1時間半ぐらいの試合が10分くらいの感覚でした」と述懐。「甲子園って自分が楽しくなければすぐ終わっちゃう、というイメージになりました」と後悔が残った。

 夏の決勝で星稜と再戦すると、奥川から逆転3ランを放って雪辱Vを成し遂げた。プロではいまだノーアーチ。高卒5年目、「甲子園で野球をさせてもらってることは光栄」と感じながら虎1号を目指す。

 【糸原健斗内野手=開星】糸原は開星での3度の甲子園出場を「青春でしたね」と総括する。鮮明に脳裏に焼き付いているのは3年夏、1回戦の仙台育英戦だ。1点を追う九回裏、2死一、二塁で打席に入った。左中間へ放った打球に、抜けたと確信してガッツポーズを決めるも、左翼手の好捕で試合終了。「最後捕られて終わったというのが、甲子園での一番の思い出です。すごい試合をしたので」と“悲劇の瞬間”を懐かしむ。

 「憧れていた場所が本拠地になって。いつプレーしてもすごいのは歓声。独特な雰囲気というのはめっちゃ感じます。100周年ってすごいですね。歴史のある球場で」。伝統の重みを感じながら、今季もグラウンドの黒土を踏みしめる。

 【原口文仁内野手=帝京】原口は帝京1年夏に初めて甲子園を訪れた。ただ、出場メンバー入りはできず、スタンドでチームメートを応援。3年夏に主力としてグラウンドに立ったが、「アルプスから見るのと、中に入って感じるものは全然違いました。入場行進の時から、すごく感動したのを覚えてます」と記憶をたどる。

 プロ15年目、職場としての甲子園を「野球人にとって憧れの場所を本拠地として、普段何げなく使わせてもらってますが、ありがたみや重みは感じています」と捉える。「これから年月がたって外観は変わっても、土のグラウンド、天然芝、空に吹き抜ける最高のシチュエーションは変わらないと思います」と“不変の魅力”を信じている。

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