中西太さんの阪神監督時代 岡田抜てき85年日本一メンバー起用も 「ベンチがアホ」発言、対立もあり退陣

 1980年1月13日 ルーキー・岡田彰布(左)に打撃指導をする阪神・中西太コーチ
 試合前、ヤクルト・村上にアドバイスする=神宮球場
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 プロ野球・西鉄(現西武)の強打の内野手として黄金期を支え、打撃指導でも定評があった中西太(なかにし・ふとし)さんが11日午前3時38分、東京都内の自宅で心不全のため死去したことが18日、分かった。90歳。高松市出身。告別式は家族で行われた。

 中西さんは1980年途中に、ブレイザー監督の辞任を受け、打撃コーチから昇格する形で阪神の第21代監督に就任した。同時に春季キャンプでブレイザー監督から「力のある新人でも、メジャーでは最初から試合に起用することはない」と告げられていた岡田彰布を二塁のレギュラーで抜擢。岡田はその年に新人王を獲得。同年は5位に低迷したが、真弓ら85年に日本一を達成するメンバーを積極的に起用した。

 翌81年の8月26日のヤクルト戦では、中西さんと以前から折り合いが悪かった江本孟紀との間であの事件が起こる。先発した江本が同点適時打を浴びて降板後に「ベンチがアホやから、野球ができへん」などと発言。その年は3位に浮上したが、中西さんは首脳陣との対立などもあり2年で退陣した。

 ただ、ミスタータイガース・掛布雅之は「打撃の師」と仰ぐなど、日本一メンバーはその指導に心酔。時を経て、岡田監督第一次政権となった2004年秋季キャンプでは、臨時コーチとして1年目を終えたばかりの鳥谷を指導。翌年のレギュラー定着へとつながった。

 ◆中西 太(なかにし・ふとし)1933年4月11日生まれ。香川県出身。現役時代は右投げ右打ちの内野手。高松一から52年西鉄(現西武)入団。1年目の開幕戦でスタメン出場(7番・三塁)。2年目には最年少でトリプルスリー(3割30本塁打30盗塁)達成。

 62年に選手兼任監督就任。65年に現役を引退し、監督も退任した。西鉄を離れた後は日本ハム、阪神で監督を歴任。99年野球殿堂入り。巨人、西鉄、大洋などで監督を務めた三原脩は義父。

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