【阪神ドラフト選手特集・茨木秀俊(2)】プロ目指す中で課せられた直球縛り

 10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~6位・育成1位)の連載をお届けする。第4回はドラフト4位の茨木秀俊投手(18)=帝京長岡=。

  ◇  ◇

 プロ野球選手になるために、茨木は帝京長岡に進学した。ただ、入学直後に芝草宇宙監督から課せられたのは「変化球禁止令」だった。中学時代に在籍していた「札幌東シニア」ではスライダーやチェンジアップなどが得意で、変化球に頼る傾向があったという。

 日本ハムやソフトバンクに在籍し、通算430試合に登板した芝草監督も「変化球がいいのは分かっていて、センスがいいのも分かっていた」と話す一方、「真っすぐが少ない」ことが心配だった。そこで、茨木に「プロに行きたいんだよな。真っすぐの意識を持たないと変わらないぞ。真っすぐの質が良くならないと」と投球の意識改革を行った。

 直球一辺倒だと、投手心理としてはどうしても「打たれたくない」という気持ちが芽生える。茨木自身も嫌がることはあった。それでも芝草監督は徹底させた。全てはプロに行くため。入学時は128キロだった直球が、3年夏には147キロに到達する。3年間、真っすぐの質にこだわり続け、体重も10キロ増量。己を磨き続け、レベルアップし続けてきた。

 今年の6月には、芝草監督から新たなミッションも与えられた。それは、1週間1000球の投げ込み。茨木も「やっぱり投げる体力もまだまだ甘かった中で芝草監督が提案してくれた。この期間がとても大きかったですし、監督の指導があったからこそ、3年夏にあんないいピッチングができたと思います」と自信を深めた。

 新潟県大会準決勝の中越戦は181球で完封勝利。決勝の日本文理戦は延長十二回に1-2でサヨナラ負けと悔し涙を飲んだが、142球完投とタフネスぶりを発揮した。その潜在能力を阪神から評価され、ドラフト4位でプロ野球選手になる夢をつかんでみせた。

 茨木は「不可能はない」という言葉を大切にしている。「人間というのはやればできると思っているので。その言葉を見た時、そういうのを心に刻んでやっていきたいと思いました」。夢を叶えたが、まだ見ぬプロ野球の世界がこの先にはある。理想像に掲げる「勝てる投手」を目指し、一人前の投手になる。

 ◆茨木 秀俊(いばらぎ・ひでとし)2004年6月8日生まれ、18歳。北海道札幌市出身。182センチ、85キロ。右投げ右打ち、投手。小学2年時に「手稲ヤングスターズ」で投手として野球を始め、手稲中では「札幌東シニア」に所属。帝京長岡では1年夏からベンチ入り。最速は147キロ。変化球は縦横のスライダーとチェンジアップ。

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