阪神1位・森木 つぶれそうになった高2の秋「変わらないといけない」

 阪神から1位指名を受けた高知・森木
 “ラパンパラ”でチームメートに祝福される森木(撮影・鳥井裕二)
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 「プロ野球ドラフト会議」(11日、都内ホテル)

 阪神は外れ1位で森木大智投手(18)=高知=の交渉権を獲得した。中学時代から軟式で150キロをマークしたという逸材は、甲子園の土こそ踏めなかったが、高校生活で“人間力”を養った。注目されるプレッシャーを乗り越え、たどり着いた18歳の境地に迫る。

  ◇  ◇

 高校3年間で自分が最も変われたこと。それは球速でも球種でもなく、「人間性」だと森木は即答する。

 「変わらないといけない」。強く感じたのは、2年秋の四国大会初戦で高松商に敗れてからだ。「オレがちゃんとやっていれば勝てる」。おごりにも似た思いで臨んだ試合は、まさかの5失点完投負け。「自分のことだけになってしまった。仲間を信じられなかった」と涙を流した。

 中学3年時に軟式球で150キロを記録し、“高知の怪物”として注目を集めたが、他人と自己評価のギャップに苦しんだ。「常に強くなければいけない」。焦燥に駆られ、虚勢を張り「変に自信を持った自分」を作り上げていたという。

 周囲の目も気になった。注目を集めれば集めるほど、森木個人への取材が増え、一人練習を離れてインタビューを受けることもしばしば。先輩や仲間たちからどう思われているのか。「『あいつばっかり』って思われてるんだろうなあと。勝手に想像していた」という。「いじり」が「本気」に聞こえてイラ立つこともあった。

 仲間に八つ当たりもしたが、ほとんどの場合、衝突を嫌い、自分が我慢することを選んだ。負の感情がたまりにたまった2年の秋。「限界を迎えていた気がする」森木の心を支えたのは家族だった。母に何度も話を聞いてもらい、周りを客観的に見ること、そして感謝することの大切さを教えられた。父は息子の変化に気づき、退寮して自宅通学にすることを提案してくれた。「甘えすぎかな、と思うんですけど、支えられていることが実感できた」と、照れ笑いで振り返る。

 秋の敗戦後、「まず感謝するところから始めた」という。言葉遣いも変え、日誌には「勝つための戦力でありたい」と、決意を書き記した。最後の夏、県大会決勝敗戦後のベンチで、涙を流しながら仲間たちに「ありがとう」と声をかける森木の姿があった。一人では野球はできない、当たり前のことを理解し、実践できた経験は、プロの世界でも必ず役立つはずだ。

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