金本監督、星野氏に優勝届ける OP戦初星ならず…秋に恩返しの追悼

 「オープン戦、阪神2-2中日」(10日、甲子園球場)

 2003年のあの歓喜を、今の虎戦士にも味わわせてやりたい-。阪神の元監督で1月に70歳で死去した星野仙一氏の追悼試合が甲子園で行われた。九回に追いつかれて勝利を捧げられなかった金本知憲監督(49)は、今季、必ず13年ぶりのリーグ優勝を天国の恩師に届けると誓った。

 勝ちきれなかった悔しさはある。オープン戦未勝利だから…ではない。天国に白星を捧げたかった。快晴の甲子園で行われた、星野氏の追悼試合。望んだ結末とはいかなかったが、金本監督の中には、改めて固めた決意があった。

 「(本当の追悼は優勝でかと問われ)そうですね。応援してくれてたし、僕が就任するときもかなり背中を押してもらった。応援してくれてるチームだと思うんでね、星野さんも。応えたいです」

 思いに応えたい。今、ここでタテジマに袖を通しているのは、星野氏がいたからこそだ。2002年オフに口説き落とされて阪神入団を決め、翌03年にリーグ優勝を経験。引退後の15年に阪神から監督の要請を受けると、相談した星野氏から背中を押されたこともあり、就任を決断した。

 「僕はあの人に呼ばれたわけであって。星野さん以外だったら、誰が監督であっても来てないと思うし。同じタイガースの監督という立場で、感じるところはありますよ」

 星野氏のおかげで、今の人生がある。この甲子園で最高の記憶も刻めた。星野氏の遺族も観戦に訪れた中、この日の試合前に行われた追悼セレモニー。黙とうを捧げ、星野氏と並んだ入団会見や、03年の歓喜の優勝の映像がスコアボードのビジョンに流された。優しい笑顔が浮かんだ。

 「やはり星野さんの偉大さと言いますか、存在感の大きさと言いますか、改めて本当に感じて、改めて残念ですね」

 中日の選手らは「20」を背負い、金本監督は他のコーチ、選手らと「77」を背負い喪章も付けた。「(77番は)僕には似合ってなかったけど」と笑ったが、闘将から学び、受け継ぎ、選手へと伝えていく思いがある。今も胸の中で、星野氏は生きている。

 「(追悼映像を見て)懐かしさと、何て言うか寂しさと。2003年の喜びと言うか、あれを選手に味わわせてやりたいです」

 亡くなった1月4日から2カ月が過ぎ、気持ちはさらに強くなった。星野氏が「夢」と話していた、阪神と楽天の日本シリーズ。自身のため、ファンのため、星野氏のため。まずはリーグ優勝。この甲子園に、あの感動をまた呼び起こす。それが恩師への最高の恩返しとなる。

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