星野イズム伝える!矢野が片岡が03年V戦士たちが感謝

 楽天・星野仙一球団副会長が、4日午前5時25分に膵臓(すいぞう)がんで死去していたことが6日、球団から発表された。70歳だった。2003年猛虎V戦士たちも同日、当時の指揮官だった星野氏の急逝を受け、それぞれ感謝の言葉を口にした。プロ入りした中日時代にも闘将の下でプレーした矢野燿大2軍監督(49)、同氏に口説かれて日本ハムから阪神へのFA移籍を決断した片岡篤史ヘッド兼打撃コーチ(48)の2人は、指導者として“星野イズム”を阪神の現役選手に継承していくことを誓った。

 司令塔として、18年ぶりリーグ制覇に貢献した矢野2軍監督も驚きを隠せなかった。昨年12月、殿堂入りを祝う会で当時のメンバーが一堂に会したばかり。「最後まで弱いところを見せなかったという部分に、監督の強い思いがあったのかと思います」と球団を通じてコメントした。

 思い出は90年度ドラフト2位で中日入りしたルーキーイヤーにさかのぼる。「入団時代に星野監督のもとでやらせてもらい、プロでの大切さなど、たくさんのことを勉強させていただき、どこに行ってもやっていけるという気持ちになりました」と感謝は尽きない。

 16年から現場復帰し、今年から2軍で指揮を執る。「私もこのタイミングでファーム監督となりましたので、自分の中にある星野イズムを若い世代にしっかり伝えていきたい」と“恩返し”を誓った。

 大阪市内で開催されたPL学園OB会に出席していた片岡ヘッド兼打撃コーチは「星野さんが監督になったから阪神に来たのは間違いない」と思い出を語った。01年オフ、日本ハムから阪神にFA移籍した決め手は、監督就任直後の星野氏との直接会談だった。

 星野氏は同年12月18日に大阪市内で就任会見を開くと、翌19日朝に都内へ移動。「赤坂プリンスホテル別邸の広い部屋で、2人で昼食をとったことは思い出」と振り返る。同氏の“初仕事”に熱意を感じ、同20日に移籍を発表した。

 03年の優勝も思い出の一つに挙げ、「移籍して野球の厳しさをもう一度、教えていただいた。それは僕が指導する上で生きている」と哀悼の意を表した。

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