石崎逃げない!球児も通った一流への道
阪神のドラフト2位・石崎剛投手(24)=新日鉄住金鹿島=を6日、デイリースポーツが直撃した。4日の巨人戦(東京ドーム)で、2つの押し出し四球を与えるなど屈辱の2/3回2失点。伝統の一戦初登板はほろ苦い結果となったが、かつては藤川、福原、久保田も巨人戦で苦い経験をして、一流へ駆け上がった。新人右腕は悔しさを胸に刻み、攻めの投球を貫く決意を示した。
4日の巨人戦。同点の六回だった。先発・岩田が1点の勝ち越しを許し、なお1死満塁。石崎は勝負の分岐点で、初めて伝統の一戦のマウンドに立った。
プロ2試合目の登板。準備段階はいつも通りでもマウンドに立つと、自分を見失っていた。代打・高橋由に押し出し四球を与え、2死後に村田も押し出し四球。さらに2本の適時打を許した。岩田が残した走者を全てかえし、2/3回2失点だった。
「今振り返ると、マウンドに立った時に闘争心が入り過ぎていました。自分の投球は小さくいくのではなく、直球で押して、大切なところで変化球を使う投球なので。あの場面は(高橋由に初球から)シュートを3球、投げて…。逃げ腰でした」
登板後、宿舎に帰ると一人で自分を見つめ直した。力を出し切れなかった要因は何だったのか。技術面よりも精神面の重要性を痛感した。
「マウンドではどんなことを考えたら、いい結果につながるかなとか、ずっと考えていました。ただ、マイナスなことは考えたくはないので、全てプラスに考えるようにしました。チームに迷惑をかけたことは申し訳ないですが、今回はいい経験をさせてもらったんだと割り切って、自分自身にプレッシャーを与えないようにしました。なので、夜もしっかり寝られました」
伝統の一戦での乱調は、若手時代の先輩も通った道だった。福原はプロ初登板の99年4月2日、東京ドームで高橋由に満塁本塁打を被弾。藤川は03年4月11日に、東京ドームで代打・後藤に同点3ラン。さらに久保田も巨人戦初登板の03年5月16日に、甲子園で仁志に3ランを浴びた。
「登板後はコーチ、選手、みんなが声をかけてくれました。切り替えろよって。その中で球児さんの話も聞きました。球児さんも通った道だから負けずに頑張れよ、と。登板後はパニックまではいかないけど、気持ちが整理できていなくて、誰に言っていただいたのかは忘れましたけど…。自分もそうなれるように頑張りたいです。あの経験は次に生かせると思うので」
これまでも屈辱をバネにはい上がってきた。新日鉄住金鹿島に在籍5年目の13年。日本選手権の出場権を懸けたJABA東北大会決勝・JX-ENEOS戦に先発。五回途中でKOされ、チームはコールド負けを喫した。「大事な大会で、自滅してしまって…。ああいう経験は(その後に)生きています」。悔しさを胸に刻んで練習に励み、翌14年のドラフト指名へとつなげた。
4日の巨人戦後、和田監督は「酷だった」と話し、石崎をかばった。また、中西投手コーチは今後もセットアッパーとして起用することを明言した。
「あの場面で起用してもらったことは、すごく期待を感じました。あそこは結果を出さないといけない場面でしたし、巻き返したい気持ちは当然あります。小さくならないようにしたいです。逃げることなく、全力で向かっていきます」
もう同じ失敗は繰り返さない。7日は本拠地・甲子園の開幕、DeNA戦。石崎は真っ向勝負で、満員の観衆に歓喜をもたらす。
