【競馬】藤岡師、堪え忍んだ先G1連覇

 勝負事に必要なものは-。実力や運も大事だが“流れ”も勝敗を大きく左右する不可欠なものだ。

 今、東西合わせて最もノッているのが藤岡健一調教師(55)=栗東=だ。ビッグアーサーで制した3月末の高松宮記念は開業(02年)以来15年目で成し遂げた悲願のJRA・G1初勝利だった。それまで、同G1にのべ42頭を出走させ、2着が3回。G2、G3を含む中央の重賞勝ちも12年オーシャンSから遠ざかり、それからの約4年間で、重賞2着は14回を数えた。

 どんな気持ちだったのだろうか。「ひょっとしたら、ずっと勝てないんちゃうかなって。負け続けることに耐える。それに慣れていたね。ただ、信じてやっていくしかない。試練を与えられていると思っていたよ」と藤岡師は笑う。

 02年11月21日に開業。厳しいスタートだった。初出走は障害レースでいきなりの落馬(メイショウイダテン)だ。肩を落とす藤岡師に声をかけたのが坂口正大元調教師だった。「落ち込まなくていい。ボクだって初出走は落馬だった。一生懸命やっていれば、ええこともあるよ」。藤岡師にとっては今でも忘れられない言葉だ。

 開業から半年たった03年5月24日に初勝利を挙げた。待望のVはのべ72頭目の出走。JRA史上、初勝利に最も出走回数を要した新記録だった(現在は3位)。「14馬房だったけど、残りの半年で11勝して1年間で12勝した。1回勝つと変わる。流れってそんなものやな…って思った」と当時を振り返る。

 ビッグアーサーのG1勝利を坂口大元調教師も喜んだ。「先生は“15年なんてまだ早い方や。ボクなんてG1初勝利(マヤノトップガン)は17年目やった。1つ勝ったらドンドン行くで”って言ってくれた」。G1初勝利後の坂口大師はキングヘイローに、デュランダルとG1馬を輩出しているから、その言葉を心強く思った。

 恩師の言葉はすぐに現実のものとなる。歓喜のG1初制覇から2週間後。ジュエラーで桜花賞を制覇した。「高松宮記念を勝ってなかったら自信をなくしていたかもなぁ。不思議なものだね。桜花賞は勝てると思っていた。重賞を勝ってない2頭がG1を勝つんだから…」とG1・2連勝を笑う。

 父が厩務員だった藤岡師は阪神競馬場で生まれ、栗東トレーニングセンターができる10歳までの幼少期を仁川の地で過ごした。「馬の蹄音で起きる。そんな生活だった。周りは“ダービーを勝ちたい”と言うけど、自分は厩務員、助手だったころから、ずっと“桜花賞を勝ちたい”って思っていた」。

 “勝たなければならない”ある特別な思いもあった。橋田俊三厩舎の厩務員だった父・清(83)氏はベロナという牝馬を担当していた。8戦4勝、2着3回の好成績で迎えた65年の桜花賞。2番人気に支持されながら12着と大敗した。オークスで巻き返しを、と誓った直後のことだった。今のように、交通網が発達していない時代。厩舎のある阪神競馬場から東京競馬場に遠征するリスクを避けるため、東京競馬場にある田中和夫厩舎に転厩して、オークスに備えることが決定した。

 皮肉なものだ。清氏の手を離れたベロナはオークスを制覇する。「桜花賞を勝てなかった悔しそうな姿を、そばで見ていたからね。オーナーからは“慣れた人がいい”と言われたけど、東京にはついて行かなかった。それがオークスを勝つんだから…」。馬ではなく、世話になった調教師を選んだ父を誇らしげにする。

 そして、当時から“桜花賞制覇”を強く意識するようになった。「G1で初めての2着が桜花賞。一番出走させているG1も桜花賞(7頭)。何かと桜花賞に縁がある。今年の桜花賞当日、父は朝から神社にお参りに行ってくれたんだ」。わずか約2センチとなる鼻差のVは父子の夢が実現した瞬間だった。

 挑戦はまだまだ続く。サウンズオブアースで挑む天皇賞・春、そして、ジュエラーで2冠奪取を狙うオークス。秋にはビッグアーサーの春秋スプリント制覇も描く。馬主、騎手、厩舎スタッフ、そして、いい先輩調教師に、尊敬する父-。「一人の力ではできない」。多くの人に支えられ、その“流れ”は前へ、前へと師の背中を押し続けている。(デイリースポーツ・井上達也)

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