【スポーツ】恐れ知らず22歳ボクサー

 前途有望な1人のプロボクサーが師の下を離れる決断をした。大阪の六島ジムに所属する22歳、東洋太平洋ミドル級1位、日本同5位・前原太尊康輝(まえばら・たいそん・こうき)。9日、後楽園ホールでタイトルに初挑戦し、同2冠王者・柴田明雄(33)=ワタナベ=に7回TKOで完敗した。

 7連続KOで7連勝と勢いに乗り、東京に乗り込んだ。だが、36戦のキャリアを持つ王者とは圧倒的な経験、技術の差。左の大砲は不発に終わり、自信は打ち砕かれた。

 この1年、ベルト奪取だけに、かけてきた。ショックは大きく、控室で号泣。「今のままじゃ何も変わらない。このままなら辞めた方がいい」と、引退をほのめかした。

 翌日、大阪に戻ると、ジムに向かった。引退覚悟で枝川孝会長に思いの丈をぶつけた。

 「俺はベルトを獲るために100%、ボクシングにつぎこんできた。会長は100%、かけてくれてましたか?」。「前日に100%柴田に勝てる、と言ってましたけど、相手は自分のキャリアの4倍ですよ。作戦は合ってたんですか?」。

 どこかに敗戦の理由を求めたい、まな弟子の気持ちが分かった。“批判”を会長は黙って聞き続けた。

 「まだ子供。ただの言い訳よ。でも言い訳するのはまだやりたい、ということや。気持ちをモヤモヤ抱えたままより、言うてもらった方が良かったよ」

 前原は現役を続行することを決め、「環境を変えたい。アメリカに行きたい」と直訴。会長も「やりたいようにやったらええ」と、来年から、米を拠点に練習することを受け入れ、師弟タッグは解消することとなった。

 道を踏み外し高校も退学した少年をボクシングに導き、4年間、タッグを組んできた。190センチの身長、非凡なパンチ力。「師弟で世界」は夢だった。

 「俺は競技経験のない素人やからな。どこかで、100%、信用できないところがあるんやろ。でもな、ないからこそ、分かる部分だってあるんよ。分かれ言うても分からん。太尊は真っすぐやから。アメリカ行ったら、あんなクラスごろごろおる。鼻っ柱へし折られるやろ。それで人間にもボクシングにも幅ができたらいい」。そう話す会長はさみしそうだった。

 WBA・WBC・IBF統一王者・ゴロフキン(カザフスタン)を筆頭に、世界でもミドル級は別格。実力も人気も選手層もマネーも桁が違う。日本で何の実績もない前原は、野球にたとえるなら、ルーキーリーグにすら入れるかどうか分からないステージからメジャーリーグを目指すようなものだ。

 敗戦の2日後、記者に前原は電話をかけてきた。「会長と1時間、じっくり話して決めました。アメリカに行きます。2年くらい修行しても僕はまだ25歳にもなっていない。僕を育ててくれたのは六島。『ジムが悪い』とか言われるのは許せない。だから枝川会長を絶対に世界一の会長にしたいんです。まだ僕は何もしていない」。師への恩はしっかり胸に刻んでいた。

 前原のストイックぶりはすさまじかった。「王者にもなってないのに布団を使うなど甘え」と寮では床の上に寝ていた。小麦に含まれるグルテンが肉体に悪影響と聞くと、テニスの世界ランキング1位ノバク・ジョコビッチ同様、一切の小麦摂取を断った。

 若さゆえ、どこまでも真っすぐ。思ったこともストレートに口にする。アマエリート出身とは違う、昭和の香りを漂わせるボクサーには不思議と人が集まって来ていた。

 「平成の力道山になりたい」と電話口で声を弾ませていた前原。恐れ知らずの22歳が、拳2つだけを武器に海を渡る。

(デイリースポーツ・荒木 司)

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