トミー・ジョンから復帰のG野間口は…

 まだまだ通過点。だがひとつの目標はクリアできた。巨人・野間口貴彦投手。2013年9月に右肘内側側副じん帯の再建手術、通称トミー・ジョン手術を受け、翌月に自由契約。11月に育成選手として再出発し、1年4カ月後に再び支配下契約を勝ち取った。

 2013年7月の2軍戦で右肘が悲鳴を上げた。

 「あの時のことは鮮明に覚えています。痛みもあったし、いつかはあることかとは思っていたけど、実際になったときに、右腕が右腕じゃなくなったと感じたあの絶望。痛み、感情は今でもよみがえります」

 先日、レンジャーズ・ダルビッシュが同様の手術を受け、また昨年は、ヤンキース・田中将が右肘を痛めたときに、この手術の可能性を指摘された。「トミー・ジョン」という名前を耳にする機会は多くなった。

 日本でも中日・吉見や楽天・釜田ら、トミー・ジョンからの再起を目指す選手がいる。野間口は右肘を痛めたとき、田中将のように手術を回避しての復活を目指したが、最終的にメスを入れた。投げる方とは逆の、左手首の腱を移植した。

 「手術してから3カ月くらいたっても、まだ痛い。本当に投げられるのかなと思ったし、痛くても投げないといけない時期がいずれ来るのかなという気持ちにもなった。精神的にもきつかったです」と振り返った。

 実戦復帰には最低でも1年を要するところが、この手術の最大のポイント。1シーズンはもちろん、時期によっては2シーズン、棒に振ることになる。毎年毎年が勝負の選手にとって、それだけ野球ができないという焦りは相当のものだろう。

 だが実際に経験した野間口は「時間はかけた方がいい」と断言する。育成選手は7月末までが支配下登録の期限。支配下にならなければ、その年はその後、1軍で投げることはできない。「痛くても無理やり投げよう」と意を決したが、原沢球団代表兼GMに「無理はしなくていい」と止められた。

 「とてもじゃないけど、投げられる状態じゃなかった。あの時投げていたら、きっと終わっていた」

 支配下登録後、最初の登板となった24日のイースタン・日本ハム戦では、1回2失点。最速は143キロを計測。離脱前、サイドスローだったフォームは上から投げるかつてのものに戻っていた。直球のほか、スライダー、チェンジアップ、ツーシーム、そして、フォークを試した。

 肘に負担がかかるとされるフォークを今後も投げていくかは、今も悩んでいる。「今のところ、肘がどうこうはない」と心配はしていないが「思った通り制球できてない」と、首をかしげる。チェンジアップに手応えを見いだしているだけに「見切りをつけないといけない時期がくるかも」と、決別も視野に入れている。

 復帰までの道のりが、長く険しいトミー・ジョン手術。1年前後、野球から離れる期間に、何に取り組み、何を変え、何を目指していくのか。さまざまな選択肢と向き合うことになるだろう。

 「この経験が、自分の野球人生にとって、プラスになるものはあるか」という質問には、少し悩んで口を開いた。

 「何なのかは説明しづらい。今後、野球をやっていく中で、時間がたてば違うものも感じるかもしれないし。現段階で感じるものはあるけど、説明しづらいですね」

 支配下登録は通過点。1軍のマウンドで活躍を果たしたとき、野間口があらためてこの手術がどんなものだったかを、聞いてみたいと思う。

(デイリースポーツ・橋本雄一)

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