建山「最悪想定」で2年ぶり昇格目指す

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 ヤンキースとマイナー契約を結び、招待選手としてメジャーのキャンプに参加していた建山義紀投手(38)が3月27日、マイナーのキャンプに合流した。オープン(OP)戦では7試合に登板し、8イニングを投げて6安打1失点、防御率1・13。ヤンキースの中継ぎ陣では最多タイの11奪三振、WHIP(1イニング平均の出塁者数)0・88など、好成績を残したが、開幕メジャー入りはならなかった。今後は3Aで開幕を迎え、12年9月以来となるメジャー昇格を目指す。

 雨のグラウンド。ほかのマイナー選手たちと一緒にウォームアップをしていた建山は、こちらの姿に気付くと、あいさつ代わりに右手でキャップのつばに触れた。昨日まで着ていたユニホームとは少し違うデザイン。背中の番号は「63」から「59」に変わっていた。

 米球界移籍4年目。OP戦での失点はソロ本塁打の1点のみ。走者を出した場面では粘りの投球で自己ベストの数字を残しながらマイナー行きを告げられた。しかし、建山は「マイナーに落ちたことに驚きはないし、不満もない」と言い切る。

 「結果、数字を残せば、メジャーに上がれるという世界ではない。ぼくみたいな契約の選手は突出したものが必要なので、そこは理解しているつもりですし、また新たにメジャーを目指してしっかり努力していこうと思います」。

 ぼくみたいな契約、とはマイナー契約のことだ。メジャーのベンチ登録は25人だが、招待選手として参加している選手はそのベンチ入りの権利を有する40人の中にさえ入っていない。このほどヤンキースが発表した開幕メンバーの中継ぎ陣は7人。そのうちの1人は抑え、2人が左腕だから、建山は4人の中に入る力を見せつけなければならなかったことになる。

 終始、淡々とした口調。しかし、そこにネガティブな感情は一切見えない。それどころか、その言葉からは熱く、強い意志さえ感じられた。

 思い出した。その1週間前の夜もそうだった。

 3月20日、レッドソックスとのオープン戦。片道2時間半のチームバスに揺られて、たどり着いた敵地で建山はこの日も登板機会はなかった。

 この日も‐。建山が最後に投げたのは15日、パナマで行われたマーリンズ戦。かれこれ5日間、実戦のマウンドから遠ざかっていることになる。投げないことで疲労は軽減されるように思われるが、むしろ、逆。なぜなら建山はずっと遠征試合に帯同していたからだ。

 チームがパナマの遠征から戻ってきたのは17日午前0時半。その日は午後1時5分からパイレーツ戦が予定されていた。車で1時間の敵地。ほかにも招待選手は多くいたが、メンバーに建山は入れられていた。先発投手が予定より早く降板したときや、延長戦に備えてのリザーブ要員。ブルペンで待機したが、声はかからなかった。19日のブレーブス戦も1時間半の遠征。そこでも待ち続けた。

 そんな経緯があって迎えた20日の試合。クラブハウスで帰り支度をしながら建山は柔和な笑みを浮かべてこう言った。

 「仕方ないですよ」。

 普通の人間ならば、はらわたは煮えくり返っているだろう。キレてもおかくしない状況だ。

 「ぼくは最悪の最悪を想定してやってるから。そんなことを考えてやってるのはダメっていう人もいるんですけど、そうじゃないと、この世界だけはね、本当にそう思っとかないと、どん底に堕(お)ちるから」。

 『最悪』がマイナー降格とするなら、『最悪の最悪』はクビか。キレたらおしまい。どんなに野球がしたくてもチームからオファーがなければ野球はできない。『どん底に堕ちる』。過去3年間、厳しい現実を目の当たりにしてきたからこそ口にできる言葉だった。

 常に危機感をもってプレーしていた。だから、無失点に抑えても素直に喜ぶことはなかった。手薄と言われていたヤンキースの中継ぎ陣。無失点に抑えるたびに周囲からは楽観的な声が上がったが、「そんな簡単なものじゃないと思いますし、メジャーのマウンドで投げるっていうことも安易に口に出しちゃいけない」と冷静さを失わった。

 結果オーライ、ではだめ。建山はその内容、アウトひとつの取り方にさえこだわりを見せた。

 3月12日のタイガース戦。延長十回、8番手で登板した建山は先頭打者に二塁打を許してピンチを背負ったが、後続を見逃し三振、中飛、中飛に仕留めた。

 「本当は3人目の右バッターのセンターフライなんかは三振を取らないといけない」。

 サイドアームから繰り出す球種は、フォーシーム、高速シンカー、スライダーとカーブの中間の動きをする“スラーブ”、そしてチェンジアップだ。スラーブは大きく曲がる遅いものと、鋭く速いものがある。

 建山が言及したのは、初球142キロ直球ファウル、2球目114キロスラーブ空振りで追い込み、3球目外角111キロスラーブをバットの先で拾われ飛球となった場面だ。

 「最後は三振を取りに行って投げた球。バッターは2球目に空振りしてますから、次も打ちに来るって100%分かってたんですけど、それでもあえて同じ球を投げる。ボールゾーンに投げると絶対に追いかけてきますから追いかけてきて空振りっていうのを狙ってたんですけど、実際には高かったし、ストライクゾーンに入っていった。そういうところが自分の描いたものとのギャップですね。リリーフは“その1本”を打たれないことが仕事ですからそういう意味でも精度をしっかり上げていかないといけない」

 右打者は三振かゴロ、左打者には打たれても長打を許さない。そこまでして内容にこだわる理由。建山は「メジャーの首脳陣やフロントの人には、ぼくのピッチングは今しか見せれないですから」と言った。

 ヤンキース傘下、3Aスクラントン・ウィルクスバリは4月3日に開幕する。

 「メジャーの壁が厚いのは知っているので、そういう意味では途方に暮れることはないですよ。それは去年もそうでした。どういうボールを投げればどういう結果になるかというのは頭では理解している。それがゲームでできるかどうかなんで、そこを突き詰めてマイナーでは引き続き精度を上げる作業をしたいと思っています」

 最後にメジャーで投げたのは12年9月26日のアスレチックス戦。その舞台に立った者だけにしか得ることのできない快感がある。12月で39歳。目指す場所がある限り、建山は投げ続ける。

(小林信行)

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