名門近大ボクシング部が1部復帰

 全日本大学王座に10度輝いた名門・近大ボクシング部が28日、関大で行われた関西学生1部リーグへの入れ替え戦で関学大を破り、来季、7年ぶりの1部リーグ昇格を決めた。

 09年5月、部員の不祥事により廃部。12年10月に活動を再開してから3年、大学、OBが一丸となり立て直し、復活を果たした。

 階級別9人制の団体戦で6勝3敗。念願の1部復帰にリング下のOBらは歓喜の輪の包まれた。

 総監督として再建に尽力したタレントで同部OBの“浪速のロッキー”こと赤井英和は号泣。浅井大貴監督、元世界王者の名城信男ヘッドコーチと次々と抱き合った。

 「プロと違って、みんなで力を合わせて戦った。1年生で入って来てボクシング経験のない学生を集めて、ここまでやってきた。学生を褒めてあげたい」と赤井総監督は教え子らをたたえた。

 同部は1943年創部。メキシコ五輪銅メダリストの森岡栄治、元世界王者・名城信男、石田順裕らを輩出。リーグ36連覇など関西に君臨し、大学ボクシング界の雄だった。

 09年5月、部員2人が、大阪市内で通行中の男性を殴って現金を奪う強盗傷害事件を起こした。近大は同6月に廃部を決めた。

 かつての栄光を望むOBらが中心となり12年に部を再興。赤井総監督の下、新監督として部員を率いたのがOBの浅井大貴監督。廃部となったのは2年生時で事件を起こした部員とは同級生だった。

 「リーグ戦の途中で突然だった。怒りよりも、悲しかった。被害にあわれた方がいる間にも試合に出ていて、被害者の方に申し訳なかった。大学も辞めないといけないのかな、と思った」とまさに悪夢の事件だった。

 大学を続け、教員免許も取得したのは、いつか同部再建のために力を尽くすため。監督就任の指名には「年も近いし自分が1番、動ける」と快諾。学生らに声をかけ、一から部員集めを行い、大学内の清掃活動も積極的に行った。髪を染めること、ひげ、ピアスも禁止など、身だしなみから見直した。

 再開時はボクシング経験のない部員4人でスタート。そのメンバーがこの日の大一番、大仕事をやった。

 ライト級・城後響主将(4年)は3勝2敗で迎えた第6戦に登場。1回から猛ラッシュでダウンを奪うと、最後も強烈な右をたたき込み、相手は戦意喪失。レフェリーが試合を止め、1回2分47秒でTKO勝利し、昇格へ王手をかけた。

 「この日のために今までやってきた。負けたら何の意味もなくなる日だった」とプレッシャーを気迫ではねのけた。高校までキックボクシングの経験はあったが、浅井監督と出会ったのが運命。「最初、全く歯が立たず、浅井先生をいつか一発でも殴ってぶっ倒してやると思って始めた。今も高い壁です」と、師とともに歩んだ。

 昇格を決めたのも“1期生”だった。4勝3敗で迎えた第8戦に登場したウェルター級の石川捺希(4年)は僅差判定勝利。その瞬間、近大コーナーからはガッツポーズと、大歓声が上がった。

 石川は「頭が真っ白だった。4勝3敗で回ってきたけど全く忘れていた。城後が1回で倒して、僕も頑張って勝つしかないと。びびってたけど、城後の試合見て体のこわばりもなくなった。勝って初めて5勝3敗だということに気付いた」と無我夢中の殊勲だった。

 14年から大学の強化指定クラブとなり、高校実績のある有力新人も続々加入。城後主将は「ボクシング経験がないからって負けないと練習から、そういう気持ちでやった」と、後輩とともに切磋琢磨した。昨季に2部入りし、部員は今や30人、OBスタッフも11人に増え、最短で1部に駆け上がった。

 浅井監督は「一から始めた、城後、石川が実現してくれた。誇らしい。ドラマを作ってくれた2人にはありがとうと言いたい」と感無量。赤井総監督は、まだスタート地点であることを強調し、「来年には1部で優勝。東(の大学)と戦い大学王座を奪回したい」と目標を掲げた。

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