銃撃された「王将」社長は常に早朝出勤

自ら餃子を焼く王将フードサービスの大東隆行社長=「餃子の王将 京都東インター店」(09年7月撮影)
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 中華料理チェーン「餃子の王将」を全国展開する「王将フードサービス」の大東隆行社長が19日、京都市山科区の同社本社ビル前で何者かに狙撃され、死去した。72歳だった。京都府警によると、大東社長は右胸など3カ所を銃撃され、発見当時は心肺停止状態だったという。

 大東氏は、毎朝早朝に出社し、本社前を掃除するのが日課だった。09年にはデイリースポーツのインタビューに対し、「朝は5時半に起きる。それから会社に来て、9時になったら前日の成績をチェックしたり、クレームの対応をする」と一日のタイムスケジュールを説明。「やっぱり朝から動かんと。昼からその日のことを考えても遅いわ」と話していた。

 また、徹底して現場を重視し、その行動はまさに“神出鬼没”。各店舗にアポなしで顔を出しては、店の様子、雰囲気をチェックし、改善点を発見すると速やかに店長に指示を出していた。移動は社長の専用車ながら、基本的に運転手はおらず、自らハンドルを握っていたという。

 常々「僕は“三現主義”。現場、現物、現実を常に意識する」と公言。その分、山科の本社に従業員は数人しか在籍していなかった。「何で高い給料をもらって、じっと会社におる?ウチは基本的に、営業本部は誰もいてないよ」との言葉通り、“戦力”は常に現場に配分していた。

 大東氏は1969年、義兄の加藤朝雄氏が京都・四条大宮に創業した「餃子の王将」1号店に入店。それまでは「自分の商売をしとった。氷と炭を売ってたから、忙しいのは夏と冬だけ。春と秋の気候のええ時はヒマで、ずっと遊んどったよ」という。

 入社後は、1970年代に、当時他店では行っていなかったという新聞の折り込み広告や、学生をターゲットにした無料券の配布など、さまざまなアイデアを具現化。「35年以上前は『飲食店のチラシなんて』って笑われたけどな」という中で売り上げを着実に伸ばした。

 95年に「王将フードサービス」の副社長、2000年には社長に就任。当時多額の負債を抱えていた同社を再建し、06年には大証一部に上場した。05年には中国・大連に海外1号店を出店。「王将の原点は、義兄が戦時中に満州で覚えた餃子。中国に“里帰り”できてうれしいね」と話していた。

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