野口&広瀬総監督一問一答(2)
「名古屋ウィメンズマラソン」(13日、ナゴヤドーム発着)
女子マラソンのリオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねた大会で、アテネ五輪金メダリストの野口みずき(37)=シスメックス=は2時間33分54秒で23位。ナゴヤドーム内での記者会見に所属先の広瀬永和総監督と出席した。
-2002年のこの大会で初優勝。名古屋を走りきったことの意味は。
野口「(横を見て)広瀬さんちょっと涙ぐんでます(笑)」
広瀬「花粉症です(苦笑)」
野口「30キロ過ぎくらいから走っている市民ランナーの方とか沿道のみなさんの応援がものすごくて応援の多さで今までの重みを感じました。私はここまでやってこれた。ケガも多くて苦しみましたけど、私のことを覚えてくれている人がこんなにいた。愛されていたんだなってしみじみ感じた。この舞台で、ワースト記録ですけど最高のレースができて本当によかった。乗り越えられたのはファンのみなさんと、社会人になってからずっと隣で見ていてくれていた広瀬さんのおかげです。冗談もよく言うけど、レースや練習の時は切り替わる、尊敬している人です」
-苦しい時期が続いてきたが野口選手のすごさがあれば教えてほしい。
広瀬「金メダリストとして競技を続けていく中で、つらい時期もあった。フォームがガタガタになったりこれが本当に野口みずきの走りなのかという走りをしていた。そこまでしても本人が走りたいという思いがあった。逆に私の方がそれ以上走らなくていいじゃないと思った。つらくてつらくて何回か泣いたことがある。その中で本人の意思は私も見習わないといけないと思った部分。強い気持ちを持ってやってきたから今回のマラソンも走れたと思います」
-ふるさとの三重県からも大勢応援に来ていた。
野口「沿道の中でも(母校の)宇治山田商の先生や友達が応援してくれてとっても励みになりました」
-今後の方向性は。
野口「今後はまだ終わったばかりでわからない。終わった余韻を楽しみたいかなと思う」
-走るのが怖いと思いながらもマラソンに向き合った理由は。
野口「足が抜ける状態はマラソン選手や長距離選手に多く、故障というより神経的なもので悩んでいる人もいっぱいいる。自分で何とか直そうと試行錯誤しながらやって、それを悩んでいる人に伝えることができたらなと思っていた。2011年からそういう状態が出て、13年はこの名古屋で走って1回も抜けた感じが出ず克服できたかなと思ったけど、14、15年はまた出てしまった。(直し方を)伝えることができなかったことは悔しいと思う。また、2013年のモスクワ(世界陸上の途中棄権)が心の中に引っかかっていて怖いという思いもあったけど、それを克服してマラソンでゴールしたいという気持ちでずっとやってきた」
-今後も走り続けるのか。
野口「もう少し後で考えたいなと思っています。今は走り終わっておなかもすいていて思考が間に合ってないのですいません(笑)」
