QVC売店経営 曽根太一さん

 千葉ロッテの本拠地QVCマリンフィールドに天気当て名人がいる。1989年開場から球場内で売店を営む曽根太一さん(87)。太陽の位置、雲、風の動き、海の匂いなどで予報し驚異的な的中率を誇る。幕張出身で太平洋戦争に出征後、シベリア抑留を経てからは漁業、海の家などを営み長年の経験で天気の傾向をつかんだ。幕張で生まれ育った「幕張の主」の海を知り尽くした名物おやじの予想のコツや、激動の半生を語ってもらった。

 ‐マリンフィールドでは会長の天気予報が当たると評判です。

 「これはねえ、皆さんが信じてくれればいいですがね。昔からのいろんな経験からねえ、予報をしとるわけですわ。風向きだとか、上げ潮だとかそういうのをマッチにしながら予測しとるわけでして。日の入りとか、ご先祖様や先輩に聞いたことを生かしてね。たまには当たるんですよね(笑)」

 ‐天気を当てる上で天候のどこを見ることを重要視されていますか。

 「そうじゃねえ。日の入りとかかねえ。正規に太陽が降りてくるか降りてこないか。後は風向きだとかを見て予想するわねえ。ここでは風の向きが南ならだいたい晴れじゃね。東風なら雨。それと海の匂いも大事じゃね。いろいろマッチさせて天気とかが分かるわけじゃねえ。ここ(マリン)の天気は気まぐれじゃ。すごい天気がよくても風の動きで少しすると天気が崩れたことがあったわい」

 ‐長年の経験則で天気が当たるようになるわけですね。売店を経営される前は漁業を営んでいるとお聞きしました。お仕事柄天気予測は大事だった?

 「海に携わっていて、貝を採りにいったりとかしとったからね。この商売をしてからも天気によってお客さんの入りを予想して仕入れ量を変えたりしないといけないからねえ。もうこの仕事をして、50年かな、いや60年、70年やってるからねえ。もう、87だからねえ。だからねえ(空を指し)こちらで夕立だったり、東が曇ってきたり、西の方で風がでたりね。入道雲があったり、そういったのを加味してねえ、予測して仕事につなげるわけじゃね。海での仕事だからね。天候が一番なんですよ。嵐だったら船が出て行けないわけですからのお」

 ‐幕張の海の特性は知り尽くしてるわけですね。

 「私らはね、享保8年かな。ちょうどさかのぼるとね。先祖から住んでるのは享保8年、徳川吉宗公の時代からでねえ。私の家は270年住んでおる。ふぉふぉふぉふぉ」

 ‐そもそも、漁業からこちらの仕事に変わられたのは。

 「埋め立てになったから、何もできなくなったから。ちょうどマリンフィールドができて、タイミングよかったね」

 ‐地元のお天気名人として有名になられましたよね。球場内でよく声をかけられるようになりましたか。

 「よ~くいろいろと声をかけられるようになったねえ。有名になっちゃってしょうがないよ。よくファンの人から幕張の顔だなとか。うちの近所の人にも幕張の顔だなって言われるんじゃよね」

 ‐そもそもこのお仕事をする前は戦争に出征され、戦争出兵によりシベリア抑留で行かれたとお聞きしました。戦争ではどちらに行かれていたのですか。

 「軍隊で横須賀にいました。大砲を作ってましたね。陸上で一番で大きいのをね作っておりましたわ。軍隊に入った後、日本の兵隊に毎日行って、それから、満州に行って陣地構築してましたかね」

 ‐日本が敗戦後、シベリアへ行かれた。

 「丸々4年ね。シベリアで捕虜をやっておりましたよ。そこでもね。食べ物の仕事をしてましたわ。食べ物の仕事をずっとしてるのは何か縁があるのかねえ。向こうの主食のねパン工場で働いておって、若いながら親方をやっておりましたよ」

 ‐捕虜での労働と言うと厳しい職場環境のような感じがしますが。実際体験されて、いかがでしたか。

 「日本は四季があるけど、シベリアは四季がないところでねえ。夜になっても日が落ちないところで延々とパンを作っていた。ようやりましたよね」

 ‐体調を崩されたりとかはしなかったのですか?

 「わしは丈夫じゃったねえ。そういえば、思いだしたのは巨人の水原(水原茂監督)さんじゃねえ。あの水原さんも捕虜になって、わしの近くの工場で働いておったそうだけど、野球選手だから体が丈夫で何でもできると思ったんじゃけど、やっぱり人間じゃねえ。がっちりしてるけど。向こう(シベリア)で仕事をするうちに痩せてしまったとお聞きしましたよ。ドクターが検査して3級だったから(日本に)帰ったんじゃね。作業前に身体検査があるんじゃけど、1級が異常なし。2級が少し異常があり、3級が特に衰弱な人という健常の等級が決められとったんじゃよ。3級ですっかり痩せられて帰ってきましたと聞きましたよ。近くの作業場におったんじゃがあの人は1年で帰ったと聞いたよ。3級でね。ワシは1級じゃった。体が丈夫なんかねえ」

 ‐水原さんとは抑留生活を通じお知り合いだったとか。

 「いやいや、話聞いただけですがねえ。あの方も恐らく召集かなんかかかったんでしょうねえ。直接はお会いできなかったんだけど、水原さんが帰った時は大々的に報道されましたよね」

 ‐今も元気な曽根会長。健康が何よりですね。

 「海の仕事は健康が一番じゃからねえ。ふぉふぉふぉふぉ」

 ‐ところで、今は外野で売店を経営されていますが、今年は晴天が多く、売店も大忙しじゃないんですか。

 「やっぱり、天気がよければお客さんの入りも違うわけじゃしねえ。とにかくマリーンズが勝つってことじゃね。勝たないとお客さんもだんだん来るのが、おっくうになるしね。やっぱりマリーンズが成績いいとお客さんも来ますわい。また、勝った時と負けた時のお金の使い方が違うんじゃ。人間じゃから、多少負けると、財布が頑固になるしねえ」

 ‐2005年にはマリーンズは日本一になりました。当時はお客さんがすごかった?

 「それよりもじゃな。やっぱ、すごかったのは、球場ができたときじゃねえ(89年)。新しいから人間がワッとなるよね。西武の清原人気もすごかったのお」

 ‐そもそも曽根会長は子どもの時は野球をやってたりしてたとか。

 「野球は私たちの子どものころの後の遊びじゃからね。たこをあげたりコマを回してたりしてましたわい。野球は見たことはあったけどね」

 ‐交流戦も始まってますが、相手チームによって売り上げも違う?

 「前はね。よく売れるっていったら巨人でしたけど、今はこの辺も阪神を応援するファンが多くなったのお」

 ‐阪神2連戦は22日から始まりますね。曽根会長も楽しみですか。

 「阪神さんは応援が荒っぽいところもあるかな。でも、試合ごとの売り上げは今は阪神、巨人の順ですよ。阪神さんは勝つとよく食べ物を買ってくれるよね。阪神ファンはお金を一番使ってくれる。もつ煮は広島戦じゃけどな。阪神はほかの品物が売れますよね。荒っぽいけどね(笑)」

 ‐これからのマリーンズに期待することは。

 「これから勝ってもらって、お客さんが来てくれれば助かりますよ。1、2位ぐらいになってくれることを望んでますよ。3位になっちゃうとここでクライマックス(シリーズ)をやらないもんでね。成績を残してここでやってくれれば大助かりですよ。ふぉふぉふぉふぉ」

 曽根 太一(そね・たいち)1925年10月5日生まれの87歳。千葉郡幕張町(現・千葉市)出身。幕張海岸観光組合・組合長。太平洋戦争に出征し中国を転戦。その後4年間のシベリア抑留を経て、1947年に帰国後、民宿・海の家などを経営。幕張海岸で養殖漁業を営む。1989年千葉マリンスタジアムオープンから外野センター売店「サンマリン」を経営。

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