蜷川実花さん 父は「駆け抜けた」

 12日に肺炎による多臓器不全のため80歳で死去した、演出家の蜷川幸雄さんの通夜が15日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれた。開式前に取材に応じた長女で写真家・映画監督の蜷川実花氏(43)は、最愛の父の人生を「最後まで駆け抜けた」と振り返った。通夜にはSMAPの木村拓哉(43)ら著名人やファン1576人が参列。木村は無言ながら、涙ぐんで蜷川さんを悼んだ。

 時に激しく、時に優しく-。圧倒的な感性で日本の演劇界に金字塔を打ち立てた蜷川幸雄さん。その背中を間近で見続けてきた実花さんは「寂しいですけど、ともに最後まで駆け抜けられたなと思います」と、笑みも見せながら述懐した。

 旅立った瞬間には立ち会えなかった。「20分前まで病室にいたんですけど…。私なりにお別れをして、車の中で亡くなったことを聞きました。苦しくなく、とても穏やかな最期だったので」と気丈に振り返った。最愛の父と最後に意思を通い合わせたのは亡くなる数日前。「『後は任せてね』という言葉に対してうなずいていました」。

 蜷川さんは舞台の鬼として、現場にこだわり続けた。昨年12月の入院後も、病状が悪化する中、現役復帰は諦めず。実花さんは「何回も危ないなという瞬間があって、そのたびに何度も鮮やかによみがえってきて…」と父の執念を伝えた。

 遺影は、昨年9月に実花さんが撮影した舞台「NINAGAWA・マクベス」での一枚。「カッコよく戦っている父のイメージで選びました」。

 厳しさで知られた蜷川さんだが、実花さんによると「孫にはデレデレ」だったという。父娘関係についても「優しい父だったので…。理論で怒ってくる人で、すべて納得しながら怒られていました」とし、「映画を作ったときは、色んな方に『映像は実花の方がうまいんだよ』と話してたと聞かされました」と照れ屋な一面も明かした。

 「亡くなる10日前ぐらいから『ありがとう』という言葉しか言ってなかった。どこから切り取っても幸せな人生だったんだろうなと思います」と、父の人生を称賛した。棺には今後、上演する意向のあった戯曲がすべて入れられ、戒名はなく俗名のまま、天国へ旅立つという。

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