守備の名手・宮本 「自衛隊」から名球会へ…「ヤクルトを選んで正解でした」

 【2012年5月5日付デイリースポーツ紙面より】

 「ヤクルト8-4広島」(4日、神宮)

 ヤクルト・宮本慎也内野手(41)が4日、広島(6)戦(神宮)で史上40人目となる通算2000本安打を達成した。大学、社会人出身の選手では、古田敦也(元ヤクルト)に次いで2人目。41歳5カ月での到達は、落合博満氏の41歳4カ月より遅い、史上最高齢となった。くしくも、同期入団の日本ハム・稲葉と同じ1976試合目で決めた。

 万雷の大歓声とともに、打球は中前に抜けた。節目の一打は、二回に福井から宮本らしいセンター返しで決めた。ベンチから飛び出したチームメートたちと喜びを分かち合った。

 「とにかくホッとしました」。重圧から解き放たれ、安どの表情を見せた。金字塔への道のりを振り返り、「長嶋さんや王さん、野村(克也)監督など、雲の上の人たちのものだと思っていた」と、感慨に浸った。

 大台を目前に控えた今季。プロ18年目のキャンプを迎えた宮本は、沖縄を訪れた社会人時代の監督・石山建一氏に、こう話した。「ヤクルトを選んで正解でした」。94年秋、ドラフト2位の逆指名で入団した。

 守備は一級品ながら、打撃は期待されていなかった。ヤクルトを選んだ決め手の1つとして、石山監督の助言があった。「お前のような選手は、野村監督が好きそうなタイプ。例えば巨人だったら、守備固めになるだけかもしれない。レギュラーを獲るならヤクルトがいいんじゃないか」。当時の担当スカウトは小川現監督。運命に導かれ、燕軍団の一員となった。

 鉄壁の守備を誇る名手は、野村監督から「自衛隊」と揶揄(やゆ)されたこともあった。信頼の裏返しではあったものの、その言葉を反骨心に変え、打力向上に励んだ。転機は99年秋のキャンプ。臨時コーチを務めた中西太氏に指導を受けた。定評のあった右打ちをさらに磨き、インコースのさばきも身に付け、広角打法を習得。00年に初めて打率3割をマーク。自衛隊から球界を代表する名選手へと、成長を遂げた。

 2000安打達成者で最多の通算391犠打。自己犠牲に徹したうえでの偉業は、宮本の生きざまであり誇りだ。そんな男だけに「周囲に気を使わせたくない」と、個人記録から早く解放されたい気持ちは人一倍だった。1月には、ラストイヤーも意識し「記録を達成して、自分を追い越す若手が育って、優勝して辞められれば最高」と語っている。プロ18年目のシーズン、後継者育成と11年ぶりの優勝へ集中するのみだ。

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