白鵬が引退会見「ほっとした」横審期待に「応えることができなかったかも」時折、目を潤ませ

引退会見を行った横綱・白鵬(代表撮影)
引退会見を終え、退場する横綱・白鵬(代表撮影)
引退会見で紗代子夫人(左から3人目)ら家族と写真撮影する横綱・白鵬(右端は宮城野親方)(代表撮影)
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 大相撲の横綱白鵬(36)=宮城野=が1日、都内で現役引退会見を開いた。初土俵から21年半、横綱として約14年以上、土俵を務めた。席上で「大変緊張しています。そして、ほっとした気持ちでいっぱいです」「自分をほめたい」などと思いを語った。来日当初のことを思い出し、目を潤ませることもあった。

 引退を決意したのは、「名古屋場所中の10日目で決めました」と振り返った。2度手術した右膝の状況が思わしくなく、「膝も言うことを聞かなくなり、そして、この場所は10勝、2桁勝利が私の目標でした」と語る白鵬。進退をかける最後の場所も「初日、必死の相撲で勝ち、若手との1番1番、決して簡単な取組はなかったと思います」という状況だったと明かす。「その10勝の目標を達成した時、宿舎に戻り、親方をはじめ、部屋の皆さん、裏方に、今場所で引退させていただきます」と、伝えたという。

 右膝については、「この半年で2回の手術を受け、また、コロナ感染になりまして。その中でリハビリと稽古、トレーニングを続けた中で、膝も悪化したところもありました。医師からは、私がやることは全部終わりました。次また、右膝を傷めた場合は、人工関節になる。そういう言葉をいただきました」と、状況が悪いことを明かした。

 子供たちからは「頑張ってほしい」と声をかけられたというが、応えることができない状態だったとした。モンゴルに住む母・タミルさんには電話で伝え「よく頑張ったと。体が大事ですから」とねぎらわれたと明かした。

 摂津倉庫で稽古を積みながら入門先を模索した。しかし、細身だったこともあり、なかなか見つからず。摂津倉庫の浅野毅会長(当時)の尽力で、宮城野部屋への入門が決まった。もしも決定が1日遅れたら、モンゴルに帰国していたかもしれない。このことを振り返ると、「ふう」と2度深く息をつき、目をうるませた。「感謝の気持ちと、今後、師匠のもとでいちから、親方として勉強して頑張っていきたいなと思います」と思いを語った。

 横綱としては「土俵の上では手を抜くことなく、勝ち抜くことこそが横綱相撲と考えていました」との思いを語った。一方で「横審の先生方の言う横綱相撲を目指したこともありましたが、最終的にその期待に応えることができなかったかもしれません」と、取口や言動などの指摘に応じ切れなかったことにも触れた。

 年寄「間垣」として、後進の育成にあたる。「自分の経験を生かし、親方としては人に優しく、自分に厳しく、義理と人情を持った力士に育ってもらいたいと思います」と語った。

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