大八木氏「日本ラグビー界の損失」 盟友たちが亡き平尾さん悼む
神戸製鋼ラグビー部・平尾誠二ゼネラルマネジャー(GM)の早過ぎる死に盟友たちが悲しみに暮れた。高校、大学、社会人とともにプレーした学校法人芦屋学園の理事長大八木淳史さん(55)は「日本ラグビー界の損失」と亡き友を悼んだ。この日はくしくも平尾さんが発起人の1人となっていたNPO法人「ヒーローズ10周年を祝う会」が大阪市内で開催され、集結した元ジャパン戦士らは黙とうを捧げた。
大八木氏は高校1年のころ、中学3年の平尾氏のチームと試合をしたのが最初の出会いだった。神戸製鋼時代の1995年には、阪神大震災をチームメートとして経験。練習グラウンドは液状化した。大八木さんはラグビーをやめることを考えたが、平尾さんは「それどころじゃない」。グラウンドを転々としながら、ともに汗を流したという。
詳しい病状は知らされていなかったが、2人の関係は「いつもそこにおった。兄弟や家族という言葉では言い表せない」という。「平尾と出会ってなければ、僕もラグビーでここまで来たとは思えない」と話した。
亡き友のラグビー観については「二つか三つ進んでいた」と言う。日本代表を率いた平尾さんが多くの外国人選手を起用したことに触れ、「今では外国人が桜のジャージーを着て戦っても、違和感はない。ようやく日本のラグビーも平尾に追いついてきた」とたたえた。
この日は平尾さんが発起人の1人となったイベントが大阪市内で行われた。83年、世界最強のウエールズを追い詰めた元ジャパンの“ヒーロー”らが集結。元気なら平尾さんの姿もそこにあったはずだった。
同大、神戸製鋼で3年先輩に当たる元日本代表ロックの林敏之氏(56)は「男前なのに嫌なところが全くない、見たままのやつ」と最高の人柄を思い返した。神戸製鋼が7連覇した時の盟友で、88年度の初優勝はちょうど平尾さんに主将をバトンタッチした年。表彰式では「賞状をもらうのは林さんしかおらん。林さんに行ってもらうぞー!」と、選手に大号令をかけ、最後に花を持たせてくれた。男気あふれる後輩の早過ぎる死に涙を浮かべた。




