金本、笑顔で引退「ファンに感謝」

 「阪神3-0DeNA」(9日、甲子園)

 背番号6は、我らの誇りだった。阪神・金本知憲外野手(44)が、21年間の現役生活に別れを告げた。多くの記録を打ち立てた。多くの感動を与えてくれた。弱い虎を常勝チームへと変ぼうさせたアニキ。骨折しても試合に出続け、ヒットを打つアニキ。子どものような笑い顔で、周囲を安心させるアニキ。みんなが愛したアニキが、ユニホームを脱いだ。

 主役を待つ声が響く。「4番・レフト、金本」-。場内アナウンスに続いて、金本が駆け足でマウンドに立った。一言、一言、ゆっくりと言葉を紡ぐ。伝えたかったのは感謝の気持ちと、夢を託す後輩への希望。スピーチを終えると、ナインの輪に加わった。背番号と同じく6回。金本は高く、誇らしく宙を舞った。

 「ファンの皆さまに一言。本当に、夢をありがとうございました。野球というスポーツ、そして野球の神様…。ありがとうございました」

 最後まで真剣勝負にこだわった。1521打点で、歴代7位の長嶋茂雄氏に1と迫った一戦。グラウンドに立てば、記録を忘れて無我夢中で駆け回った。六回。三浦の140キロ直球を中前に運んだ。通算2539本目の安打で出塁。続く新井の打席で初球にスタートを切った。「塁に出たら初球から走るよ」。試合前に宣言した通りだった。

 通算167個。44歳6カ月での盗塁で、自身の持つセ・リーグ最年長記録を更新した。「最後はホームランが打ちたかったんですけど。まあ盗塁で勘弁して下さい」。広島在籍時の00年に3割、30本、30盗塁で、史上7人目のトリプルスリーを達成した。走攻守すべてにこだわってきた野球人生。最後まで「金本知憲」を貫いた。

 「信念を 貫く 強い気持ち」。21年間の現役生活を支えた言葉だった。プロ3年目の春季キャンプ最終日。1軍に呼ばれた。そのままオープン戦初戦、松山遠征に帯同したが、試合前のノック中に右足をねんざ。再び2軍行きが決まった。「ここでケガするヤツはそれまでの選手だ!それ以上を求めても仕方ないわ」。三村監督は怒った。そして、続けた。

 「もう一回チャンスやるから、早く治してこい」。ベンチへ下がると、涙が止まらなくなった。指揮官の言葉がうれしかった。だが、それ以上に悔しかった。「ケガはケガだと言わなければ、ケガじゃない」。休まない-と心に誓った。左膝の半月板損傷で出場。死球で左手首の軟骨を損傷しながら、右手1本でも打席に立った。1492試合フルイニング出場。信念は世界記録に達した。

 だが、2010年3月。味方選手と激突して右肩を強打した。「右肩棘(きょく)上筋断裂」。重症だった。「ケガした人に夢を与えられる存在になりたい」。手術を拒み、懸命なリハビリを続けた。一度として、人前で悲愴(そう)な顔は見せなかった。それでも両膝に加えて首に腰、今年は左肘の激痛に悩まされていた。原因不明の痛みだった。

 握力は一時、20キロ前後まで低下した。低い弾道のまま伸びる打球。金本の飛距離を支えたのが左腕の「押し込み」だ。バットに塗られた青い塗料。好調時は革手袋を越えて手につき、洗っても塗料が取れない。だが、左手には付かなくなっていた。強い気持ちで痛みと闘ってきた。人は「鉄人」と呼ぶ。それでも44歳の体は限界だった。

 最後はウイニングボールを捕球。劇的な幕切れだが、金本は豪快に笑い飛ばした。「男が泣くのは一度でええんよ」。グラウンドを一周すると左打席に花束を置いた。「日本一をここで達成したかった。悔いと心残りは後輩たちに託すことにします」。笑顔で別れを告げる。ありがとう、タイガース。夢を追い、夢に生きた21年。甲子園は忘れはしない。鉄人が残した数々の奇跡と、感動を-。

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