おしい!今年の佐々岡カープ

 2012年というから、もう一昔となる10年前の話である。「おしい! 広島県」との自虐的なキャッチコピーがあった。県内にはいろんな魅力のある資源があるのに、あまり知られていないのを惜しんで広島県庁が考案。このために設立した「広島県おしい委員会」の委員長に熊野町出身のタレント、有吉弘行さんを起用し、全国に向けて大々的に発信した観光キャンペーンだった。

 おしい資源として挙げられたのは、生産量が日本一のレモン、「広島風」のお好み焼き、世界では高評価の熊野筆、修学旅行で行った人ばかりの宮島など。このキャンペーンでの経済効果は抜群で、観光客数は12年からの2年間、過去最多を更新し続け、13年には6千万人を突破している。まさに広島県庁が狙った「おしい!」を「おいしい!」に変える戦略が奏功したのだった。

 これらの中には12年、4年ぶりに4位に躍進したカープの名もあった。こうした過去の話を持ち出せば、「おしい! カープ」は今年もそうだろう。

 それらの主な「おしい」を挙げると、次のようなものが思い付く。

・先発陣は大瀬良大地、森下暢仁、九里亜蓮、床田寛樹、アンダーソン、遠藤淳志と力のある6本柱を確立しながら、故障や不調で機能しなかったのは、おしい!

・リリーフ陣は塹江敦哉、島内颯太郎、森浦大輔、ケムナ誠、ターリー、コルニエルらのパワー投手を抱えながら、制球難でムラがあったのは、おしい!

・打線はリーグ1位のチーム打率をマークするほどの「好打線」ながら、一発の迫力に欠けたのは、おしい!

 この他にも、まだまだありそうな「おしい!」は、佐々岡真司監督の采配によって、多分にもたらされた面があったろう。これらを整理すると、次のようなものが佐々岡イズムとして浮かんできた。

・一番大切にしたのは一体感、結束

・先発陣は打たれても、できるだけ長いイニングを任せる

・リリーフ陣は回の先頭から使い、途中からの起用は極力避ける

・クローザーの栗林良吏はリードした局面でしか投げさせない

・攻撃はつなぎに頼り、運用は選手に任せる

・リスクの大きい盗塁やエンドランは避け、バントを多用する

 こうした佐々岡野球の本質をひと言で言い表せば、性善説にのっとった野球。いわば人間の本性を善と見る人生観が、バックボーンになっていたのではなかろうか。

 なにせカープ番記者だった体験から言わせてもらうと、大野豊、津田恒美とともに、こちらが勝手に「お人よし3人衆」と名付けていたほど、人への気遣いや気配りが行き届いていた好漢である。投手陣の起用法などは、自らの経験則による決め事かもしれないが、それ以上にこの人の優しい性格が反映されているようにも見えた。

 さらに付け加えれば、その戦略はいかにも、農耕民族的な思想が底流に流れていると思えた。例えば今日の勝利より、明日に向けての敗戦といった長期を見据えていたような大局観がそうなら、チームに一体感を訴えるのもそう。リスクの大きい盗塁やエンドランは避け、バントを多用したのも、そうだろう。

 言い換えれば、この手法は毎日が一発勝負の狩猟民族と違って、村落の人がまとまって、悪天候を恐れながら、安全に収穫を得ようとした生活スタイルと似通ってはいないか。

 こんな佐々岡監督が明日なき戦いの場と化した閉幕間際の際には、一転して狩猟民族的な将に変わった。その見境のない戦法での巨人、阪神との三つどもえ戦には、感動したが、最終的に競り負けたのは、おしい!

 こうしてこの1年間を振り返ってみると、開幕ダッシュと閉幕ダッシュで、世間を沸かせただけなのが今年のカープ。広島県庁が第2弾の観光キャンペーンとして打ち出した「(感動して)泣ける!」とのキャッチコピーをなぞらえれば、クライマックスシリーズ進出を逃した結果に、カープファンは悲しくて「泣ける!」思いだったろう。

 最後にもう一つ付け加えると、当方は佐々岡ファンだっただけに、退陣するのは、おしい!、泣ける!思いである。

 永山貞義(ながやま・さだよし)1949年2月、広島県海田町生まれ。広島商-法大と進んだ後、72年、中国新聞社に入社。カープには初優勝した75年夏から30年以上関わり、コラムの「球炎」は通算19年担当。運動部長を経て編集委員。現在は契約社員の囲碁担当で地元大会の観戦記などを書いている。広島商時代の66年、夏の甲子園大会に3番打者として出場。優勝候補に挙げられたが、1回戦で桐生(群馬)に敗れた。カープ監督を務めた故・三村敏之氏は同期。阪神で活躍した山本和行氏は一つ下でエースだった。

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