安仁屋氏 古葉氏から教えられた「内角をどんどん攻めていけ」“名将”との思い出語る
12日に死去した古葉竹識氏の下で、現役時代ともにプレーし引退後も投手コーチを務めるなど親交が深かったカープOB会長でデイリースポーツ評論家の安仁屋宗八氏(77)が“名将”との思い出を語った。
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ショックという言葉しか出てこない。来年3月には14年ぶりとなるOB戦をマツダで開催することが決まったばかり。古葉さんには監督を務めていただくつもりでいただけに残念でならない。
思い出は尽きない。1964年、広島に入団したばかりの私を「男一人じゃさみしいだろう」と自宅に誘ってくれた。行ってみると奥さんの手料理がいっぱい並んでいた。あの時食べたすき焼きの味は今も忘れられない。
遊撃手だった古葉さんからいつも言われていたのは「絶対に逃げるな。俺のところに打たせろ」だった。シュートが私の武器になったのはこの言葉がきっかけ。コーチや評論家になってからも私が常に投手陣に対して言ってきた「内角をどんどん攻めていけ」という言葉も古葉さんから教えられたもの。今もその教えはチームの中で受け継がれている。
阪神に移籍して5年目のオフ、球団から「来季は2軍投手コーチをしてほしい」と言われた。そんな時、古葉さんから連絡が入った。「現役を続けたいのなら広島に戻ってこい」。私の現役への未練を見抜いていたんだと思う。80年には日本シリーズでも登板させてもらい、私は悔いなく引退できた。84年には投手コーチとして古葉さんの下で日本一も味わうことができた。
グラウンドでは闘争心にあふれ、本当に厳しい人だった。気の抜けたプレーをした選手はベンチで容赦なく蹴っ飛ばされた。しかし、球場を離れると心優しい紳士だった。選手とのコミュニケーションを大切にし、いいプレーをした選手を「良かったよ」と褒め、ミスした選手には「明日も使うから次、頑張れ」と励ました。選手の誰もが古葉さんを信頼していた。
今の自分があるのは古葉さんのおかげ。感謝しかない。あえてお別れは言わない。なぜなら古葉さんはこれからも私の中でずっと生き続けていくから。