ロッテ・福浦が2000安打達成 生え抜きは榎本、有藤以来3人目

8回、2000安打を達成し、記念のボードを掲げるロッテ・福浦=ZOZOマリン(撮影・出月俊成)
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 「ロッテ-西武」(22日、ZOZOマリンスタジアム)

 ロッテ・福浦和也内野手(42)がプロ野球史上52人目の通算2000安打を達成した。「6番・DH」で先発出場した福浦は八回、無死。左腕の小川から右翼線二塁打を放ち、大台に到達した。ベース上で万歳。同期生の西武・松井、ロッテ・井口監督などから花束をもらい、感無量の表情を浮かべた。

 福浦は75年12月生まれで現在42歳9カ月。2000安打達成は15年に42歳11カ月で記録した和田一浩(中日)に次ぐ史上2番目の高齢記録となる。

 ロッテ生え抜きでは68年の榎本喜八、85年の有藤道世以来で、3人目となる。92年の千葉マリン移転後は初の選手となる。

 今季は2000安打へ残り「38」として迎えた。自主トレから開幕へ向け、早めの調整を心がけた。

 開幕戦から先発出場を果たし、4試合連続安打を記録するなど幸先のいいスタートを切った。

 だが、5月17日には出場選手登録を抹消された。4月26日の楽天戦以来、18打席無安打で、「体がしんどい。力が入らない」と話したように、5、6月はコンディション不良もあっていずれも月間1安打だった。

 シーズン中は体中の古傷と年齢との闘いだったが、それでも夏場以降に成績を上げて踏ん張った。

 9月に突入してからは複数安打や3年ぶりの本塁打などでラストスパートしていた。

 満員のファンから祝福の大歓声。福浦は「最初のヒットがマリンだったし、地元の千葉で出れば最高」と話していたが、その願いはかなった。

 初安打は97年7月5日・千葉マリンスタジアムでのオリックス戦だった。「7番・一塁」での一軍初スタメン。四回にフレーザーから放った。

 習志野高の左腕のエース・兼4番として、93年のドラフトで7位の入団だった。ドラフトの最終指名選手となり、支配下選手枠70人の最後で、このことから背番号は「70」となり、98年に現在の背番号「9」となる。

 入団直後から左肩、ヒジを痛めて立ち投げもままならず、1年目94年、球宴前に打者転向を打診された。1カ月悩み続けて転向を決断。「言葉では表せない」という“恩人”の山本功児二軍打撃コーチらに指導を受けて頭角を現した。97年から一軍に定着した。

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