元祖代打の神様、元阪急の高井保弘氏、今でも「投手のクセをチェック」

オールスター第1戦9回裏パ軍1死一塁で逆転サヨナラホーマーを放ち、沸き返るスタンドに応える高井保弘(中央)。左は野村克也監督=1974年7月21日、後楽園球場
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 元阪急ブレーブス(現オリックス)の選手で、“代打の神様”として活躍した高井保弘氏(71)が29日、“チコ”の愛称で親しまれたキューバ出身のロベルト・バルボン氏(83)とともに、大阪天満宮で行われた第4回「大阪の本屋と問屋が選んだ、ほんまに読んでほしい本」大賞に輝いた増山実氏(58)の『勇者たちへの伝言 いつの日か来た道』爆売祈願に参加。阪急ブレーブスをモチーフに描いた感動の物語で、バルボン氏らと共に実名で登場。その縁で、久々に公の場に姿を見せた。

 コーチや通訳を経て、現在もオリックス・バファローズ野球教室名誉顧問として少年たちに教えているバルボン氏。一方の高井氏は波瀾万丈の人生を送った。主に代打として活躍し、通算代打本塁打27本は世界記録。1974年にはオールスター史上初の代打逆転サヨナラ本塁打も記録している。だが82年シーズン限りで現役を引退してからは、小料理屋を開いたり、スポーツ整体を手がけたりしたが、阪神大震災で店舗を失った。その後、阪神間のビルの警備員を10年以上やっていたが、ケガが元で、3年前にそれも“引退”した。

 高井氏が“代打の神様”とまで呼ばれるようになったのは、徹底した投手研究にあった。わずかな手の位置や筋、シャツのずれなどから球種を分析。それらを書き留めたものは「高井メモ」と呼ばれ、チーム内外の選手の垂ぜんの的だった。相手のクセを見抜くため、時には変装して相手投手の練習するバックネット裏に行ったこともあったという。

 あるとき、阪急に移籍してきた選手から「このベンツと交換せえへんか?」と持ちかけられたことがあった。「すぐ断りましたわ。『ベンツはお金出せば買えるけど、このメモは買うことでけへん』と言ったら引き下がった」と笑った。

 また当時、南海にいた江夏豊氏と対戦したときのこと。打席に立つと、捕手だった野村克也氏が話しかけてきて、江夏氏の球種&コース当てをすることになった。だが高井氏は、野村氏の“ささやき戦術”に陥ることなく、ピタリと球種とコースを当て本塁打にした。「そりゃ(野村氏は)悔しがりましたよ。ホームベースにかえってきたときに、『何でわかるんや』って。『そんなん、教えられるわけないでしょ』って答えたけど、気持ちよかったわ」と振り返る。

 そんな“代打の神様”だけに、ケガでもベンチには入っていた。「自宅で寝てたら、監督だった上田のおっさん(利治氏)から電話があって、出てくれって。相手(投手)の使い方が変わるからと」。その存在だけで、相手の布陣まで変えていた。

 高井氏が代打で本塁打を量産したことがきっかけとなり、パ・リーグでDH制が導入されたといわれている。「歴史を変えた人間なんですよ」とちゃめっ気たっぷりに自負する。それだけに自身の後に誕生した数々の“代打の神様たち”には「神様と言われて、お尻がこそばないんかな。(元阪神の)川藤幸三でさえ、わしの前では何もしゃべらへんかったわ」と手厳しい。

 3年前に骨折し、現在も左足にはボルトが入ったまま。そのため激しい運動はできず、いまはテレビでの野球観戦が一番の楽しみだという。「やっぱり野球が好きなんですわ。いまも気づいたら、テレビで投手のクセをチェックしてますわ」と笑う目は今も鋭い。

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