真田家の固い絆に感動~和歌山・九度山

 初めて来た「善名称院 真田庵」にニッコリの滝谷妃史さん
 真田幸村に似せた「おもかる石」は重くて持ち上げられなーい
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 大河ドラマ「真田丸」で真田昌幸とその長男・信幸、次男・信繁(幸村)親子はいつも仲良く登場する。しかし、親子は関ケ原の合戦でたもとを分かつ。昌幸と信繁は西軍に、信幸は東軍に。どちらが勝っても真田家が存続することを狙った昌幸の策だった。西軍は敗北し、昌幸と信繁は高野山に蟄居(ちっきょ)を命じられ、後に和歌山県九度山(くどやま)に移った。信繁が人生でもっとも長い14年を過ごしたという同地を訪ねた。

 ◇   ◇

 九度山を訪れる真田ファンにとって1番人気なのが「善名称院 真田庵」だ。真言宗の寺院で、昌幸、信繁(幸村)が隠棲(いんせい)した屋敷跡として和歌山県の史跡に指定されている。

 取材には和歌山県観光キャンペーンスタッフ「きのくにフレンズ」の滝谷妃史(たきや・ひふみ)さん(20)が同行してくれた。阪南大学に通う3回生。塾で高1数学を教え、数学大好きという“数学女子”だ。「真田丸」は「ときどき見る」そうで、歴史への興味は「それほど…」と小さめの声で答えてくれた。案内してくれたのは地元ガイドの大川久仁子さん。説明は詳細だった。

 「善名称院 真田庵」は昌幸、信繁、信繁の子の大助の三代を地主大権現としてまつっている。昌幸は1611年に65歳で亡くなった。墓は建立されたが蟄居の身とあり、葬儀を営むことはできなかった。遺骨の半分は真田庵に埋められ、もう半分は故郷である信州・上田に埋められた。真田庵では場所を忘れないように松が植えられた。現在の松は2代目なのだそうだ。

 鈴の緒のそばには「おもかる石」と呼ばれる高さ30センチほどの信繁像がある。大川さんによると、願いごとを唱えながら軽々と持ちあげることができると願いがかなうとか。では滝谷さん、小さくて軽そうだし持ってみて下さい。

 「あ、はい…」と硬い表情。中腰のまま手を伸ばし持ち上げようとしたが無理だった。ひざまずいて再トライするも「重い!めっちゃ重い!」と笑顔を浮かべてギブアップ。「お米10キロは持てますけどこれは無理です」とお手上げだった。

 昌幸と信繁は本来なら処刑になるはずだったが、東軍に付いた兄信幸らの嘆願により助命され、高野山での蟄居となった。当時の感覚でいうと世捨て人になるようなものだったそうだ。大川さんの説明は深く、分かりやすかった。滝谷さん、どうでしたか?

 「やばいと思いました。歴史のこともっと知らないと。勉強しないと」。“歴史女子”が誕生した。

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