「輝ボール」から2発4打点
【9月3日】
ついにきた。記憶の限り、阪神のOBでは江夏豊以来の登場…。9月1日の紙面から自らの半生を綴り、この日の朝刊が第3回。あらためて読めば、この人はやっぱりバケモンだ。
1956年から続く日経新聞の名物コラム「私の履歴書」で元阪神監督の岡田彰布が執筆をスタートした。政治経済、文化、スポーツ…様々な分野で大きな業績を残した人物にしか声がかからない。過去の執筆者を見れば、それはもう各界の偉人ばかり。
岡田の筆を一部紹介する。
【小学校時代、私の活躍の場は父が作った軟式チーム「大阪紙工クラブ」と、もう一つあった。リトルホークス。南海ホークス(現ソフトバンク)傘下の少年野球チームだ。南海の大阪球場が家から近いこともあり、私は「ホークス子供の会」に入っていた。残念ながら、阪神にはそういう組織がなかった。その子供の会の大会で私は大阪球場の左中間スタンドに放り込んだ。飛びにくい軟式球を柵越え、と騒がれて新聞にも載り、リトルホークスに“スカウト”された】(原文まま)
NPBの球場情報によれば大阪球場のサイズは両翼84m、中堅115・8m。神宮球場のそれ(両翼97・5m、中堅120m)と比べれば小ぶりだが、それでも、小学生がプロ野球のホーム球場でサク越えするなんて考えられない。その後、北陽、早大を経てドラフト1位で阪神に入団するキャリアはファンもご存じの通りだが、つまり、ドラ1でプロに入る面々はツワモノの中のツワモノであり、漫画の主人公を地でいく逸話ばかり出てくる。
しかし、おそろしいことに、そんな猛者の争いでまだ選別されていくのがこの世界。上には上がいる。現在のNPBでその象徴が佐藤輝明だと思う。
さて、この夜の神宮球場で輝がまた一つ勲章を上乗せした。2打席連続の本塁打は圧巻だったが、それよりも2発を呼び込んだ初回の一打、その打席にスポットを当てたくなる。
あの1球がこのゲームの分岐点になった。輝が打席に向かった一回、1死一、二塁の戦況だ。1ボール2ストライクからの4球目は、新人左腕の増居翔太が投げ込んだ外いっぱいの直球だった。ナイスボール。これはやられたと思ったが、球審の手はあがらない。
その後フルカウントまでもっていった4番は、最後は外のスライダーを拾って先制打を放った。この一打で通算500打点目。プロ6年目での500打点は生え抜きでは球団史上最速で、他球団ではミスタープロ野球、長嶋茂雄らに並ぶ偉業だという。
かつてON時代には「長嶋ボール」「王ボール」が存在した。選球眼に優れた長嶋、王貞治が際どいコースを見送れば、アンパイアは悟る。「長嶋、王が見極めたのだからボール」。名前勝ち。オーラ勝ち。一流でもこの域までいく者はONだけ。そんなふうに言われたが、もしかして、輝なら…。
佐藤輝明が見送れば「ボール」。そんな空気は少しずつ出てきたような気がする。猛者争いで頭ひとつ抜ける存在が阪神にいる誇らしさ。=敬称略=
