球児の思いを独断で書けば
【5月7日】
浪速の春団治から聞かれた。
「おう、風。さいきん、松下はどんな具合や?」
きのう、まっちゃんから連絡がありましたよ。今月またメシ行きます。
松下…この欄の読者はよくご存じ、『松とら屋』の松下雄一郎だ。
「あいつ、この前、名古屋におったやろ?連絡あってな。名古屋に来ないんですか?って。ワシ、行けんかったから会えずじまいや」
松下と僕は同級生でかれこれ20余年虎の現場で苦楽(?)を共にした。少し前に彼はデイリーを退職し、僕は残っているわけだが、LINEや電話のやりとり、会う機会はむしろ増えた。こっちからも、あっちからも、気の赴くままに誘い、誘われる。なぜって、そりゃカイシャの枠を取っ払っても会って話したいと思えるからだ。
2人とも若作りで、年相応に見られないのは良いことだけど、近ごろは、歳も、時の速さも半端なく感じる。そりゃそうか。入団会見を取材した藤川球児が監督をする時代なのだから。
近ごろ歩く姿が心もとなくなった76歳の川藤幸三を眺めながら感じる。僕らもあっという間にカワさんの年代になるんだろうな…。
虎の試合がない日は取り留めのないことを書きがちだけど、きょうは…。
「時の流れ」について思うことがある。この世界に長く居る分、タイガースの悲喜交々もたくさん見てきた。全てが一流になれないプロ野球においてその「差」を生む本質を正確に語ることは難しい。だけど、ガンと闘う松下雄一郎と膝を突き合わせるようになって、彼とじっくり話しながら見えるようになったことを筆者独断の言葉で書けば、それは大きく二つ。
独りになれるかどうか。
鏡に写した自分を測れるかどうか。
藤川阪神の連覇を叶えるには、投手野手とも「台頭」を強く願うところ。
ここからは差し出がましい筆になるが、若い力への希望を込めて書く。
松下や僕が見てきた「一流」は群れなかった。または、自らの所在を鳥瞰し、実力や言葉を正確に投影する技量に長けていた。「一流」がなぜそうするのか。考えてみれば、おそらく「時間」と対峙するからだ。プロ野球の世界に「平等」など存在しないことは、みんな気付くことだが、唯一平等にあるもの=「時間」との向き合い方に賢明な者ほど一流に近づいてゆく。
ウチの虎番が高寺望夢の言葉を紙面で紹介していた。「誰もいないところでやることに意味がある」。自主練の話である。球児は彼の「1番」起用について「腰を据えて…」と語っていたが、きっと高寺のそんな姿勢も見えているのだと思う。
人生がそうであるように「プロ野球選手としての時間」も当然有限だ。残された時間は、その選手によってはもしかしたら絶望的なものかもしれない。が、希望もまた同じ数字の中にある。残り時間が限られていることは、むしろ迷う時間を奪ってくれる恵み。球児が「没頭」を掲げるのはそういう意味だと僕は捉えている。=敬称略=
