松井よりも中田よりも
【3月9日】
佐藤輝明の甲子園デビュー戦を見ながら書いている。この先、彼はこの広い球場で何本アーチを描くのか。想像するだけでワクワクするし、サトテルさ~んのビッグフライなら何度でも字にしたい。
かつて若き左の大砲といえば…森田一成。懐かしい話をきのう書いた。プロ初出場、初打席で、初本塁打は阪神史上初。11年にこの甲子園でそんな快挙をやってのけた男が僕に言うのだ。
森田「あのホームランは風さんのおかげなんですよ」
へ??そんなわけないやん?
森田「いや、でも本当に…」
長い付き合いだけど、そんなの初耳よ?
「あの年の沖縄キャンプで風さんから『カネさんとメシいこう』と誘ってもらって、連れてってもらったじゃないですか。あれをきっかけに金本さんにすごく気に掛けていただいて。それまでも『金本モデル』のバットを使っていたんですけど、あの食事のとき、それを伝えると、金本さんがスタッフを通じて鳴尾浜へご自身のバットを5本、僕宛に届けてくださったんですよ。そのとき決めたんです。プロ初打席はこのバットで打とうって。その日まで袋から出さずに取っておきましたから」
へぇ…もっと早く教えてや。
僕が笑うと、「すみません」と一成も笑っていた。
「金本さんのパワーをいただいて打てたんです。風さんに声を掛けてもらってなかったら、バットもいただけていませんし…。でもあの一打席だけなんですよ、そのバット使ったの…。ほぼ新品のまま、実家に飾ってあります」
森田一成といえば、同郷で当時阪神SDの星野仙一が惚れ込んでドラフト指名した岡山・関西(かんぜい)高出身の大砲である。当時、星野は「松井秀喜や中田翔よりも飛ばす力がある」「ほかと差別してでも育てなあかん素材」と言い切っていただけに、古傷や故障もあって、わずか7年間の選手生命が残念でならなかった。
金本知憲は自身の引退の際、一成に再びバットを贈った。そこには、直筆でこう記されていた。
森田一成へ。目指せ40本!
もちろん、一成も目指した。でも叶わなかった。悔いを聞いてみると、やはり「ある」と言う。
「ウエートトレーニングもやりようがありました。脱臼(古傷)のことがあって負荷をかけたらミシミシ聞こえたんですけど、工夫しながらもっとトレーニングをやって体にキレを出していたら…。遠征の時なんかは外食をほどほどにして、もっと素振りしておけば…という思いもあります」
阪神アカデミーやトレーナー資格など、セカンドステージを歩き始めた一成だけど、阪神時代に大切にした後輩の今もしっかり見守っている。中でもずっと気に掛けている原口文仁は一成にとって特別な存在。「あいつはすごい」。そう語るワケは原口が活躍した日にあらためて書くとして…。
志半ばで退いた一成の願いは、金本の激励、40本塁打を叶える新星の出現である。=敬称略=
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