阪神で終わりたかった…
【9月30日】
あれは07年の…10月頃だったと思う。秋なのに「桜」という店を予約し、鳥谷敬と食事をした。場所は兵庫県の芦屋市。食べた物は記憶にないけれど、野球の話を沢山したことはよく覚えている。
地階にある間接照明の薄暗い個室で、26歳の鳥谷と閉店まで喋った。心に残っている彼との会話を一つだけ…。
この先、何年後かFAの権利を取得する日がくると思う。そのとき、判断の基準になるのは何か?
そんな話を振ると、鳥谷は躊躇なく返事した。
「お金でしょ」
それを聞いた当時の僕の率直な感想は「あなた、プロやな…」。
こういう原稿を載せると、まあまあ、勘違いされることが多い。
なんやねん。鳥谷には、チーム愛っちゅうもんがないんかい?
そんな類の〈ご批判〉が一部から飛んでくるのだ。
プロ野球選手、プロアスリートの評価はお金である。
いや、僕らサラリーマンだって同じじゃない?自分のやりたい仕事を年収400万で雇われるのと800万で雇われるのと……くだらない議論はやめておく。名の売れた人ほどはっきり「お金」だと言えば、拝金だの何だの揶揄されてしまう。キレイゴトを並べる人が多いのだけど、鳥谷のアンサーはストレートで気持ちよかった。
(補足しておくけれど、あの夜彼は阪神、そして甲子園球場への愛着をタンマリ語っていた)
ご存じのように、鳥谷はメジャーリーグからのオファーを待ったオフがある。結果的に移籍を断念したわけだけど、つまり、納得できるオファーが来なかったまで。そこで鳥谷を引き留めたい阪神は彼が納得する条件(お金)を提示し、長期契約を交わしたわけだ。
このときの残留会見…皆さん、鳥谷の発言を覚えています?
「阪神で優勝したいと強く思いましたし、阪神で終われたらと思います」
当時この会見をプレスルームの最前列で取材していた当方は「えっ?」と、声が出てしまった。
会見後、録音データを何度も聴き直し、「阪神で終われたら」-確かに、そう言ったことを確認した。15年1月のことである。
できるなら阪神で終わりたかった…。鳥谷敬はそう思っていた。
しつこく本心を迫ったわけではないけれど、それくらい分かる。
東京都出身の鳥谷は馴染みのない関西でプロ生活をスタートさせたわけだけど、彼の子ども達はみんな西宮で生まれ育った「みやっ子」である。長男、次男の習い事に嬉しそうに付き添う彼の姿を何度も見掛けた。クールな男が表情を崩すのは決まって子どもの話を振ったとき。家族とずっとこの街で…父親なら、誰だってそうだ。
取材のため虎番が記者席から消えた試合後、一度ベンチ裏へ下がった鳥谷がカーテンコールに応えひとりグラウンドへ帰ってきた。「ありがとう…」。口元がそう言っていた。「阪神で終わらない」決断を下した「ヒーローの君」にエールを送りたい。=敬称略=