「バッキャ」をやったルーキー

 本紙評論家時代の金本はカープキャンプを訪れ、新井に声をかける=沖縄(筆者撮影)
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 【9月6日】

 「食べログ」なんて知ってたんだ…。そんなキャラじゃないと思っていたので、驚いた。あれは、僕が異動で阪神担当を離れることになった11年オフのこと。不意に新井貴浩からメールがあった。

 「送別会、しましょう」

 正直いえば、その言葉だけでこっちの涙腺は緩んでいるのに、サプライズがもうひとつ。そこに添付してあったのはセレブリティ行きつけのフレンチ。こんな洒落た店、よく知っていたよな…。

 「あ…奥さんから聞いたんだ」

 「自分でネットを見て探しましたよ。☆が多かったんで」

 芦屋マダムに人気の店で男二人…ナイフとフォーク。フォアグラのソテーなんとか…ちょっと場違いだと思ったけれど、新井の心遣いがたまらなく嬉しかった。

 あのとき、互いに5年後、10年後の自分について話したことを覚えている。11年といえば新井が阪神へ移籍して4年目。93打点でセ・リーグ打点王に輝いたシーズンである。05年の本塁打王につづく2度目のタイトル。それでも彼は将来に対して、まるでポジティブな見通しを立てていなかった。

 「いつ、どうなるか分からないじゃないですか。自分で引き際を決められる選手なんて、カネさんとか、ほんの一握りですから…」

 この翌年、金本知憲は21年間の現役生活に別れを告げ、ユニホームを脱いだ。「もう一度、金本さんと一緒に野球をやりたい」-新井がカープを出た大義はこの時なくなったわけだ。当時サッカー担当だった僕は、交流戦中、新井を訪ねて埼玉までライオンズ戦を観に行った。夜、二人で東京立川の街を歩きながら、ああでもないこうでもない…。「カネさん、どうするんすかね。何年後か、監督やるんすかね…」。「何年後かはやるでしょ」なんて…ほろ酔いだったけれど、そんな取り留めの無い話をしたことだけは覚えている。

 「金本さんもそうですし、新井さんもそうなんですよ」。この夜新井と(98年度ドラフトの)同期入団でカープ打撃コーチの東出輝裕と10分ほど雑談したのだが、彼は「世間の認識」に少しだけ違和感を覚えているようだった。

 「『新井さんって幸せなプロ野球人生だったね』って、みんな言うじゃないですか。でも、あの人が順風だったのは、ラスト数年だけですよね。たまたま最終的にうまくいきましたけど、中堅のときは阪神へいって苦労しましたし、若い頃からずっと、一番苦労して一番辛い思いをしてきたのが、新井さん。風さん、僕らの1年目、覚えてますよね?新井さん、バッキャをやらされていましたから」

 バッキャ…バッティングキャッチャーの略である。文字通り、バッティングピッチャーが打者に投げる球を捕球する役回り。新井は自身の打撃練習が終わった後、マスク、プロテクター…キャッチャー用具を全て身につけ、打撃ケージに入っていた。新人時代のヘッドコーチ大下剛史から「お前、何をあがりよるん?今から(野村)謙二郎が打つけぇ、後ろから先輩のバッティングを見ておけ!」と指令を受けた。春、秋のキャンプではない。シーズン中のことだ。

 「そんな若手、他にいます?当時はやらされて、バカにされて、コケにされて…。今の時代では考えられないですけど、新井さんの場合、それくらい色んな苦しい経験をしてきたから今がある。だから、こうやって一番いい形でゴールテープを切ろうとしているし、引き際も自分で決められる野球人生になったと思うんです。ひと言で『幸せな…』というのは違う」

 東出はそう語る。さすがに「バッキャ」を経験する若手はこの先もいないだろう。理不尽な苦労は不要だけど、泥臭く、全力で流す汗水が嘘をつかないことは新井が証明してきた。虎にとっても唯一無二のOBだと思う。=敬称略=

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