忘れられない「母の涙」

 神宮球場で息子の2000安打に拍手を送る母・美智子さん(筆者撮影)
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 【9月5日】

 あれは第六感だな…今でも、そう思うことがある。仕事休みだったあの日、僕は朝から自宅でのんびり過ごしていた。どこにも出掛けず、特に何をするわけでもなく…。そうしたら、なぜか夕方になって、ふと胸騒ぎがしたのだ。

 「もしかして、決めたんじゃないか…」。気になったので、すぐに電話してみると、いつもなかなか繋がらない男が一発で出た。

 「はい、決めました…」

 「書いても、大丈夫なの?」

 「風さんにお任せしますよ」

 そうなれば、休日も何もない。前触れもなく会社に連絡したものだから、編集局は慌てて1面に。

 「新井 阪神退団」-。

 14年11月3日、夜のことだ。

 甲子園でたまたま新井貴浩の愛車に遭遇したのが、その1週間ほど前のこと。見慣れた白いクーペが選手専用外の駐車場に…。あれ?と思って暫く待っていると…。

 「乗ってくださいよ」

 時間にして、どれくらいだったか。人目を避けていた4年前のオフ、新井は「心の現在地」を車内で語ってくれた。あのとき、はっきりとは言わなかったけれど、腹は既に決まっていたんだと思う。

 阪神を自由契約にしてもらう。そして裸一貫、広島へ戻りたい。許されるものなら、もう一度カープで勝負したい-。FAで関西流の派手な出迎えを受けたのが07年の秋だった。それから7年後、阪神在籍7シーズンで86本塁打、499打点を残した新井は今度は静かに甲子園を去っていったのだ。

 99年の新人イヤーから新井を知る。当時、カープの守備走塁コーチだった正田耕三が「守備は使いもんにならん」とはっきり言っていたことを思い出す。僕なんかが語るのは失礼だけど、あの新井貴浩が…と今なお思う。「漫画みたいな野球人生ですよ」。本人は笑ってそう振り返るけれど、取材者としては、その「サクセスストーリー」の根拠を書かなければ…。

 この日、新井の引退会見が終わってから通い慣れた場所へ向かった。「テレビ局が次から次へ来るけぇ、大変よ」。トレーニングクラブ「アスリート」代表の平岡洋二は苦笑しながら、取材に応えてくれた。アスリートといえば、ご存じ、金本知憲や新井貴浩、丸佳浩らの自主トレ拠点である。

 新井はなぜ成功できたのか?旧知の平岡に初めてそう聞いてみると、「そりゃあ」と即答した。

 「金本抜きには語れんよ。カープへ帰ってきてからのことがクローズアップされがちだけど、誰にも期待されなかった新井がレギュラーになって、ホームランを打てるようになってな…。例えば試合後だったら、金本から『何スイングしてから帰れよ』とか具体的に言われとった。ここでもよう教えられとったし、トレーニングもそう。間違いなく、金本に引っ張ってもらって成長したんじゃけ」

 金本さんと野球がしたい…純粋にそんな気持ちで阪神へやってきた新井だけど、彼の20年を振り返るとき、僕の記憶から外せないのは、やはり母のあの涙である。

 阪神移籍後初めてカープと戦った08年4月…僕は広島市民球場のネット裏でたまたま新井のお母さんと遭遇した。鳴りやまない息子へのブーイングに「風さん、もう見てられないので帰ります…」。試合は序盤。まだ、二回だった。その夜、新井が背負った十字架を初めて肌で知ることになった。

 「信じられませんよね…」。時を経て、神宮球場で新井の母は泣いていた。今度は嬉し涙である。カープに復帰して2年目の16年4月、2000安打達成の瞬間をご家族の隣で見させてもらった。こんな日がくるなんて、8年前のあの夜、誰が想像できただろうか。

 新井引退。寂しい…いや、この20年、幾度となく「さよなら」を言ってきたので…。何か感情を書くのは難しいけれど、ひとつ言えることがある。新井貴浩のようなドラマチックな野球選手には、もう二度と出逢えない。=敬称略=

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