15代目の「31」は…

 【9月30日】

 元阪神の外野手で台湾プロ野球中信兄弟の林威助(リン・ウェイツゥ)から連絡をもらった。

 「今年限りで引退することにしました。いろいろとお世話になって、ありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします」

 02年度ドラフトの7巡目で星野阪神に入団。当時、出身の近畿大を取材したこともあり、学生時代から彼を知っている。歳は8つ違いだけど、なんだかウマがあった。 今だから言えることだけど、神戸・御影の自宅マンションにお邪魔させてもらったこともある。打てなかった日は超高層階のバルコニーからずっと夜景を眺め、「どうやったら、打てるんだろう」と物思いにふけったことも…。

 13年オフに戦力外通告を受け、母国球団のオファーに応えた。ネットで台湾での活躍に注目していたし、「必ず、そっちへ行く」と約束していたが、叶わなかった。

 この日、東京ドームで阪神ナインのフリー打撃を眺めながら、林のスイングを懐かしんだ。もしここで本塁打競争をやったら誰にも負けない。それくらい、練習ではズバ抜けた飛距離を誇っていた。近畿大で林の後輩だった糸井嘉男から、かつて聞いたことがある。「林さんの打球は、えげつなかったですよ」。179センチ、80キロ。プロとしては決して恵まれた体格ではなかったが、将来の主砲候補として虎党の期待値も高かった。

 それでも、年間最高は07年の15本塁打。阪神在籍の11年間で放った本塁打は31にとどまった。故障さえなければ、背番号と同じ数で終わるような選手ではなかった。

 そういえば、そうか…。林の退団後、13年以来空き番になっていた「31」を背負ったのが、15年秋に2軍監督に就いた掛布雅之だった。だからというわけじゃないけれど、林に確かめてみた。ミスタータイガースの“象徴”をつけるのは重圧ではなかったのか。

 「いいえ。すごく光栄だと思っていましたよ」

 結果的に背番号31を自分のものにできなかった。やはり悔いはあるだろう。そう察しながら引退を労ったのだが、彼は恩人を思い浮かべ、晴れやかに語ってくれた。

 「悔いはありませんよ。僕の場合、金本さんと同じ年にタイガースに入団して、野球に対する情熱とか、色々と勉強できたので…。日本では自分なりに精一杯やりましたし、台湾に帰ってからも野球に対する情熱、精神をずっと持ち続けてきたので、悔いはなし…」

 掛布雅之、そして金本知憲。林は2人のレジェンドに「多謝(ドォーシャー)」だそうだ。

 31番の系譜を調べてみると、林が13代目。二度目の掛布が14代。さて、15代は誰になるのだろう。2年前、球団顧問の南信男は言っていた。「今、ほかに31番に見合う選手いるか?」。近日中に面談する早実の清宮幸太郎が仮に「31」を希望すれば、球団は「空けて待つ」ことになるだろう。いずれにせよ、来季は伝説の背番号をそれに見合う選手につけてもらいたい気はする。林威助の思いも背負いながら…。=敬称略=

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