浦和の援軍

 【2月9日】

 あれは2012年1月のこと。広島の繁華街、薬研堀の割烹でサッカー日本代表の李忠成とテーブルを囲んだ。僕が阪神担当からサッカー担当へ異動して間もないころだ。共通の知り合いのセッティングでデイリースポーツの単独インタビューに応じてくれたのだが、そのときの発言が今も耳に残っている。

 「プロは注目されてナンボだと思っています。注目度の高い中でどれだけ結果を出せるか。今は突っ走れるだけ、突っ走ればいい」

 イングランド、サウサンプトンへの完全移籍が決まっていたタイミング。11年のアジア杯ファイナルで決勝ゴールを決めた彼は、世界最高峰のステージへ挑むプレッシャーについて語っていた。インタビューは「プレミアリーグへの野望」が主たる内容だったが、サブタイトルをつけるなら「重圧との闘い」だったように思う。

 「おぉ~、久しぶりですね。ご飯食べたの、12年でしょ。移籍した年だから5年前になるのかな…。てか、阪神ってこんなにマスコミの数、多いんだ。これって、毎日のこと?やばいね(笑)」

 前触れもなく、李が宜野座へやってきた。浦和レッズの同僚、柏木陽介も一緒だ。聞けば、面識のある糸井嘉男と平野恵一に会いたかったという。レッズが宜野座村のお隣、金武町でトレーニングキャンプを張っているので、練習の合間を縫って応援に来たそうだ。

 柏木も「記者の数、多いっすね~」と驚いていた。サッカーも人気クラブになれば熱心なサポーターが大勢キャンプ地に集う。16年度のJリーグ観客動員はレッズが2位以下を圧倒し、担当記者の数も他クラブより多い。それでもスポーツ界全体で見れば、メディアの数は阪神が他を寄せ付けない。記者だけでも巨人を上回る。

 ロシアW杯予選でハリルジャパン入りが期待される柏木は言う。

 「僕、神戸出身なんで小さいころから阪神ファンなんですよ。サンテレビのナイター中継、ずっと観てましたから(笑)。一番好きな選手は久慈さん。当時は弱い時代で勝てなかったですけど。今ほど注目度もなかったような…」

 久慈照嘉が主力でプレーした1990年代は92年以外、Bクラスで低迷していた。当時の担当記者は今の半分ほどだったと聞く。

 「糸井さん、活躍してほしいな」。李&柏木の強力援軍を得た糸井だが、ひと昔前とは違う巨大メディアの重圧をどうはねのけるのか。僕はそこにも注目している。

 オリックス時代に同僚だった平野恵一は言う。「嘉男は新聞で『宇宙人』とか書かれていたけど、違うよ。めちゃめちゃまともな人間だから」。日本ハム時代に糸井を取材したことがある。確かにとても礼儀正しく、丁寧な対応をしてくれた。ただ、どうだろう。阪神では「めちゃめちゃまとも」じゃないほうがいいこともある気がする。FAで虎入りした選手は過去10人。額面通り数字を残した選手は金本知憲、1人だけだ。「重圧との闘い」を知る金本は糸井に言う。「自由にやれ」と。=敬称略=

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