【阪神ドラフト選手特集・山崎照英】諦めかけた野球の道、転機となった盗塁王との自主トレ 本気で料理の道検討から一転
10月のドラフト会議で、阪神から指名を受けた7選手(1~5位・育成1、2位)の連載をお届けする。今回は育成2位の山崎照英外野手(23)=関西独立リーグ兵庫=。俊足を発揮していた幼少時代、悩んでいた意外な進路先などを振り返る。
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山崎家の第3子として誕生した次男坊は、「照英」と名付けられた。「照らす人であってほしい」と願いが込められ、両親が好きだったTBSの人気番組「SASUKE」に出演していた「照英」にもちなんだ命名だった。
幼い頃から俊足は発揮されていた。保育園のかけっこでは1番。小学1年から6年まで毎年リレーの代表にも選ばれた。母・みゆきさんは足が速くなった理由に、「何かをしていたわけではなかったんですけど、とにかく負けるのがいやで。親と一緒に走って負けても悔しがるくらいだった」と明かした。
兄と同時に小2でソフトボールを始めた。4年生で中堅を守った際には「照英が守ってたら安心」と周りから言われるほど、守備でも俊足を発揮していた。中学では軟式野球部に所属し、高校は九州文化学園へ。理由は野球もできる上に食物調理科があったから。両親は共働きだったため、小学生の時から料理することが好きだった。
高校在学時に調理師免許を取得した一方で、野球人生は決して順調ではなかった。3年夏は長崎県の独自大会で3回戦敗退。「高校で野球はやめて、大阪の調理師の専門学校に行きたい」と学校の資料請求を始めた。「フランス料理を学ぶために留学したい」とも話すほど、本気で料理の道に進もうと思っていた。
そんな時に転機が訪れた。関西独立リーグ・兵庫ブレイバーズの関係者からスカウトをされたのだ。受けるつもりはなかったが、両親からは「若い時にしかできないことだから、野球をやってみたら」と背中を押された。悩んだ末、野球の道に進むことを決断した。
兵庫ブレイバーズですぐに花を咲かせたわけではない。2年目から知っている山川和大監督(30)は「この足だけでプロにいけるんじゃないか」と一目置いていた。ただ、盗塁にはどこか自信がなかったといい、才能を開花させるためのきっかけも与えた。3年目のオフに、知人を通じてソフトバンク・周東の自主トレに参加させたのだ。
プロと練習したことを機に山崎は変わった。山川監督は「練習に来る時間も誰よりも早くなって、練習時間の目いっぱいやるようになった。率先して倉庫を掃除したり、全ての意識が変わった」と振り返る。
プロへの意識も少しずつ芽生え、4年目は盗塁数も順調だった。しかし7月に死球で右ほおを骨折。それでも驚異の1カ月で復帰した。40試合で74盗塁を記録して関西独立リーグの盗塁王を獲得。今季も51盗塁で2年連続の盗塁王に輝いた。
5年目の今年は勝負の年だった。「だめだったら今年で」と家族にも引退することを伝えていた。そんな中、ドラフト前の9月ごろにスカウトが視察に。そこから死ぬ気のアピールで、最後の最後に夢の切符をつかんだ。「周東さんが目標なので、追いついて追い越せるような選手になりたい」。師匠の背中を追い、スターの階段を駆け上がっていく。=おわり=
【山崎照英(やまさき・しょうえい)アラカルト】
◆生まれ 2002年12月1日生まれ、23歳。長崎県出身
◆投打 右投げ左打ち
◆サイズ 174センチ、67キロ
◆足 50メートル走5秒8
◆遠投 100メートル
◆家族構成 両親、兄、姉、妹
◆球歴 小学2年からソフトボールを始め、中学では軟式野球部に所属。九州文化学園では甲子園出場なし。21年に関西独立リーグ・兵庫に入団し、24年から2年連続でリーグ盗塁王を獲得。
◆特技 野球、走ること
◆好きなこと サイクリングで散策。一日で30~40キロこいだこともある。
◆好きな食べ物 母のカレーライス
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